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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

参入障壁と仕事のラクさ

代官山には美容師が山のようにいるので、必然的に美容師の友達が私は多いのですが、代官山や表参道で20年ぐらい生き残っている美容師の方って本当に凄いと思います。

 

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ここ数日間、「知能と所得の関係」について論じてきましたが、何度も言ってるように、現代社会では知能や学力が高いことが所得を得る上で非常に重要です。

 

有り体に言えば、知能や学力が高いことが高い所得を得る上で決定的な要素かもしれません。

 

しかし、代官山の一流の美容師のように、学生時代に比較的勉強が苦手だった人でものすごく稼いでる人はいるわけです。

 

飲食店やアパレルの経営者などもこのタイプかもしれません。

 

私はわりとカタイ商社・銀行勤務、医者や官僚等の友人が多いのですが、彼らと比べると売れている美容師や飲食店の経営者の「総合的な人間力」は群を抜いています。

 

公平に見て、名刺や肩書き抜きの魅力で言ったら相手にならないほど後者の方がずば抜けて優れているでしょう。

 

こういった事実分析をして私がつくづく思うのですが、資格や一流企業等のように「勉強の能力」で圧倒的に参入障壁が高い分野に関しては、あまり「人間力」的な要素は必要ありません。(「じゃあ人間力ってなんだよ? 曖昧じゃね?」と言われるかもしれませんが、要素に分解すれば「人のハートをつかむ能力」、「コミュニケーション能力」といったEQ系の能力と言っていいでしょう)

 

「人間力はあるけど勉強の能力が低い人」はエントリシート等で足切りされてしまうからです。

 

しかし、逆に飲食店の経営のように、ある意味とりあえず始める事は誰でもできるような分野で抜きんでるには圧倒的に「人間力」が必要になります。

 

結局「参入障壁の高さ」と「仕事の容易さ、人間力の必要の程度」は反比例の関係になっています。

 

30年前の弁護士は何もしないで年収2000万円位いきましたが、それは参入障壁が桁違いに高かったからです。

 

年間500人しか司法試験の合格者がいなかった時代は、それほど需給バランスが極端でした。

 

しかし、司法制度改革により弁護士の数が増えると、今では年収500万円程度の弁護士もそれなりにいるみたいです。

 

医者に関しても同様で、どれだけ横柄でコミュニケーション能力が低くても、医師国家試験に受かった瞬間に年収1000万円は確定します。(見栄やプライドを抜きに、当直やコンタクトレンズのバイトをやればそれぐらいは絶対にいきます(が、医者カーストではもちろん底辺ですけど))

 

飲食店の経営のように資格もいらずにとりあえず誰でもできる仕事に関しては、その中で抜きん出るのがものすごく大変です。

 

だからこそ「人のハートをつかむ力」が凄まじいほど必要なのです。

 

私は自分ができるからあまりありがたみを感じないのかもしれませんが、正直な感覚として、官僚とか投資銀行の人間のように「ある程度勉強ができた人しかできない仕事」で上に行くなんてそこまで大した事ないと思います(そもそも限られた人間しかスタートラインに立ってないので)けど、飲食店とか美容師で上に行っている人は本当に人間性や人の気持ちをつかむような能力が卓越してると思います。

 

一般的な「確率論」として、子供に将来高所得な職業につけるために高い教育を受けさせたい気持ちはわかりますが、あまり勉強ばかりやっていると人間力やコミュニケーション能力が身につかないのも事実です。

 

私はずっと高いレベルでスポーツをやっていたので勉強に関しては最後の2年位で短期集中で死ぬほどやることになりましたけど、やっぱりスポーツをやって良かったなと思います。

 

それは圧倒的に「社会性」と「コミュニケーション能力」と「普通の感覚」が身に付くからです。

 

特に野球、サッカー、バスケットのように球技の団体競技は、究極の自己犠牲と社会性の精神が養われます。(まぁ、いつも言ってますけど、結局これも「自分を肯定したいバイアス」がないとは言えないので100%客観的とは言い難いですけど)

 

確率論ですが、やはり小学生位から勉強ばかりやってきた人にはちょっと偏っている人の割合が高いと思います。(「多い」だけです、念のため)

 

結局人間はプラマイゼロで、あまり机にかじりついて勉強ばかりやっていると人間力やコミュニケーション能力が身につかないですし、逆もまた然りですから、何が何でも子供に学力「だけ」を身に付けさせたい、という姿勢は非常に近視眼的だと思います。

 

代官山のコミュニティでちょっと感じたことです。