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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

ありがちで浅い批判

自分でもわかっていますが、私は時と場合によってはあえて矛盾する(ように見える)ことを言っています。

 

一例を挙げましょう。

 

ある投稿では「ある程度以上から先はお金持ちになっても仕方ない」、「社会的地位等でマウンティングする輩はうんこだ」などと言っています。

 

しかし、また別の投稿では「男性はお金や地位があれば少々顔が悪くてもモテる」と言っています。

 

こういった「一見齟齬がある二つの意見」を重箱の隅をつつくように、「いやあ、カトハヤさん矛盾してますなぁ、言ってることが。笑」と喜ぶような浅い方がFacebookをやってる時にいましたが、こういった方は「他人の言説を読解する」基本的な姿勢が分かっていないのです。

 

まずは、「徹底的に矛盾がないように解釈しよう」と考えてみるのです。

 

それでも矛盾していれば仕方ありませんが、大概の言説は前提条件などをいじると必ずしも矛盾してないことがほとんどです。

 

たとえば、私があげた例に関して言えば、「思考のレベルが違う」のです。

 

前者はあくまでもある種の理想論や思想レベルの話。

 

後者は「現実の社会通念や常識」を前提にした上での現実的なソリューションです。

 

また同じような例として、「日本の受験勉強はくだらない」とある投稿では私は言っていますが、別の投稿では「明治なり日大なりに行けばホワイトカラーとしての人生は常にビハインドスタートです。一生屈辱であり、コンプレックスまみれでしょう。マーチは人生が『待ち』になります。」と小馬鹿にするようなことを言っています。

 

こういうことを言って馬鹿にされたと感じた明治なり日大の方は感情的になって「ほらみろ。カトハヤはなんだかんだ低学歴を馬鹿にしてるんだ」とおそらく主張するでしょうが、これも上の例と同じで「前提」が違うわけです。

 

「日本の受験勉強はくだらない。AOみたいな読書の量や意欲を競うテストにしたほうがいい」と個人レベルで思っていたところで、社会はそのように動いていません。

 

世の中のほとんどの人は偏差値が高い人間が頭の良い人間だと思ってますから、その社会通念がある限りくだらないと思っても、現実問題として受験勉強をやらないという選択肢はないのです。(東京でホワイトカラーをやるんであれば、あと少しは人より上に行きたいと思ってるのであれば。別に地方でそこそこの暮らしがしたければ大学なんてどうだっていいと思いますけど。)

 

明治や日大に行って「受験勉強なんてくだらない」と言って誰が言うことを聞いてくれるでしょうか?

 

茂木が「受験勉強はくだらない、AOのほうがいい」と主張してみんなが聞いてくれるのは、彼が現行制度の勝ち組だからです。

 

「港区のタワマンくだらない」と船橋や大宮のアパートに住んでる人間が言ったところで誰が聞いてくれるでしょうか?

 

貧乏なブサメンが「東京の港区の女はお金が大好きでくだらない、本質が見えていない」と言ったところで「酸っぱいブドウでそんなこと言ってるんだろう」と鼻で笑われるのがオチです。

 

結局現実の社会の力学を無視して理想論を言っても虚しいだけです。

 

私が言ってることも「理想論を語る」場合と「現実的な対策」で違ってくるのは当たり前です。

 

なんでも脊髄反射で「矛盾」とは言わないことですね。