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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

読書とAO入試

私のブログを読んで頂いてる皆さんなら分かると思いますが、私は勉強や学ぶことが大好きです。

 

サッカーとオナニーと食べ歩きと旅行の次ぐらいに好きです。(ってそんなに優先順位高くないか。笑)

 

しかし、私がすごい残念なのは世の中には子供も大人も勉強や本が嫌いな人が多いことです。

 

もちろん理由は複合的ですが、彼らが学ぶことが嫌いな最大の理由は、非常につまらない日本の学校教育にあります。

 

私は日本の学校教育に関して言うと、小学校・中学校に関しては概ね賛成ですが、日本の高等学校の勉強に関してはかなり疑問を持っています。(賛成、反対って二者択一的に単純化できるものでもないのですが、一応)

 

日本の高校の勉強は、無駄に難しいし細かいと私は思います。

 

(まぁ、そもそも中学校までが義務教育で、高校は文字通り「高等」学校なわけですから、ある程度仕方ないと思いますけど)

 

私は日本の高等学校の勉強って、そもそも3年でやるには無理があると思うんです。

 

試しに新橋や東京駅を歩いている有名大学の出身者にちょっと問題を解かせてみて下さい。

 

このベクトルの内積の問題解けますか?

 

このモル計算の問題わかります?

 

中国の王朝全部言えますか?

 

ロックとルソーの思想の違い、だいたいわかりますか?

 

おそらく「ボロボロ」ではないでしょうか。

 

教科書やセンター試験のレベルでも、まともに覚えている人はほとんどいないと思います。

 

結局何が言いたいのかと言うと、日本の高等学校の教科書レベルの知識が長期記憶になってマスターできている人間はほぼいないということです。

 

みなさん試験のために一生懸命詰め込んで後はほとんど忘れてしまっている。

 

そして詰め込んで嫌になるほど勉強したがゆえに大人になっても学び直そうと思わない。

 

結局試験の突破のために苦行のように勉強して10年後には何も残ってないわけですから、日本の教育は「壮大な無駄」をやっているとしか私には思えません。(唯一、「ブランド大学を出た」という事実を手に入れるための意味だけはありますけど)

 

こんなどうせ後に残らない勉強をする位なら、もっと本を読ませたり、暗記の量を減らして本当に大切なことだけに絞って覚えさせたり、もっとマシな勉強をさせるべきでしょう。

 

この意見に対して予想される反論として、「いや、別に忘れたっていいんです。必死に覚えたり解いた経験に意味があるわけですから」という意見がありますが、それは後に述べるように、比較対象を間違っています。

 

「やらないよりやったほうがいい」のと「最も実のある時間の使い方」は全く別の概念です。

 

日本人の受験の成功者は、皆さん「自分の成功体験を正当化したいバイアス」が非常に強いので、なぜか受験勉強の意義を無駄に説きます。

 

確かに私も受験勉強をして良かったと半分ぐらい思ってますし、それが基礎体力となっているところはありますけど、よくよく考えてみるとそれって「比較対象」がちょっと違うんですよね。(やはり私もバイアスにある程度浸っていますから。)

 

日本式のくだらない受験勉強をやるか、まるで勉強しないか。

 

この二者択一であれば当然前者の方が良いでしょう。

 

しかし、私がもし高校生に戻れるとして

本を1000冊読んでそれについて議論をしたりエッセイを書いたりするか

 

チャート式や詳説世界史、『難問題の系統』を死ぬほど繰り返すという例のくだらない作業をやるか

 

と言われたら前者のような勉強をしたいです。

 

そして、

ただなんとなく遊んでいるか

 

チャート式や『難問題の系統』あたりをひたすら繰り返すくだらない勉強をするか

 

の二択なら後者をやりたいです。

 

要は、意味なく遊んでる位なら受験勉強をやったほうがいいですけど、やはり日本の受験勉強は「一番の学びの方法」だとは思いません。(ですからロクに本も読まずに明治に行くよりは、同じく本も読まずに一橋大学に行く方が相対的にマシですよそりゃ、ええ)

 

日本の受験教育の成功者は皆さん「やらないよりやったほうがいい」勉強を「すばらしい勉強、体験」だと誤解して浪人時代などを美化していますが、比較対象が間違っています。(このロジック「ちきりん」がよく使いますね。「やらないよりやったほうがいい」ことを皆さん「やったほうがいい」と勘違いしてるわけです。しかし、時間は有限ですから、「同じ時間を使って何ができたか」を考えるべきでしょう)

 

最近、東大や京大でAO入試が始まりましたが、もし私が高校生の時にこういった試験があったら間違いなくこちらのルートを目指していたでしょう。

 

本を読んだり興味を持って探求したプロセスがそのまま試験で問われるわけですから、これほど有意義な時間の使い方もありません。

 

しかし、「学力がアイデンティティー」の一流大卒の方はこういったAO入試に非常に批判的です。

 

何とかして「学力が至上の価値」であって欲しいというバイアスがものすごく強いわけです。

 

特に社会で活躍できなくたいした読書量もない東大卒あたりからすると、東大卒という肩書きは自分を正当化する唯一の手段なわけですから。

 

これは大きく言えば早稲田や慶応などの一流大学出身者にも言えるでしょう。

 

しかし、自分のバイアスを抜きにして冷静に考えてみたら現行制度は非常に歪んでいます。

 

「瞬間風速」で18歳の時にひたすら詰め込んで、「後は野となれ山となれ」というのも非常に教育制度として不適切です。

 

もっと学ぶことが好きな子供が増えるような教育をしてほしいものです。

 

psまぁ、そもそも人工知能の実用化に伴い、頭が良いことや学ぶことの価値がどんどん減じていく気はしますから、ここで書いている話も30年後には時代遅れかもしれませんけど。。。

 

※youtubeで教養講座を収録しています。興味がある方はご覧になってください。
https://youtu.be/sLOR3idL9dE