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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

有用性という病について

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 たまたま最近同時に読んでる2冊の本が似たようなことを言っていて非常に共感したのですが、我々現代人はともすると人生の諸問題を全て「有用性」で判断しがちです。

 

要は「役に立つか、役に立たないか」ですよね。

 

しかし、有用性でモノを判断してる限り、AI時代に「生きる意味」を実感するのは難しいと思います。

 

なぜならば、これからあらゆる仕事は人工知能に取って代わられ、「あいつは役に立つか立たないか」というメルクマールで判断するとほとんどの人間は役に立たなくなるからです。

 

私もかなり強烈にこのドグマに浸っていると思いますが、現代人のとりわけ都会人は、「仕事」で他人の価値を測ったり、人間としての卓越性を判断している節があります。

 

たしかに私も学生時代に「予備校講師なんか仕事にしたら馬鹿にされる」などと薄すらと思っていましたが、まさにこれは「職業=その人の価値」というドグマに毒されていたからでしょう。

 

このドグマはかなり強烈です。

 

どれだけキレイ事を言ってる人も「あの人は超有名な外科医なんだよ」というのと「あの人はスーパーのレジ打ちなんだよ」というのを全く同じように捉える人はいないでしょう。

 

やはり無意識のレベルで前者を敬い、後者を少なからず軽蔑してるでしょう。(後者は軽蔑とまで言わないでしょうけど、少なくとも前者と後者を同じレベルでリスペクトしてる仙人は絶対にないと言い切れる自信があります。)

 

「あいつはAB型なんだよ」と「あいつはO型なんだよ」と聞いてもほとんど何も差異を感じませんが、それと同じレベルで人の職業を聞いて何も思わない人はほとんどいないと思います。(これを社会学で職業威信と言います)

 

それくらいわれわれは「有用性ドグマ」に毒されていると思います。

 

要は、

 

どれだけ生産力があるか。

 

どれだけ社会に貢献するか。

 

我々の社会全体がこういったドグマに毒されているので、「仕事をして社会に貢献したい」という人に対して否定的な考えを持つ人はまずいないでしょうし、逆に「仕事なんか最低限にして適当に遊びたい」という価値観を正面から認める人もほとんどいないでしょう。

 

近代以降の人間は例外なく「生産主義」、「有用性病」に毒されています。

 

これは日本に限らず現代世界覆っていると言っても良いでしょう。

 

英語でoccupationという単語がありますが、要するに「1日の大半を占めているもの」が仕事だということです。

 

紹介した本(『仕事なんて生きがいにするな』)では、あの有名なマックスウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』なども引用しつつ「仕事が生き甲斐病」、「有用性病」の淵源や歴史について詳しく論じています。

 

「仕事が生きがい」、「良い仕事を得るために一生懸命勉強する」。

 

こういった価値観を正面から疑う人はほとんどいませんが、賢者になるためには本当の根源のところから考える必要があるでしょう。

 

有用性ドグマから完全にフリーになる事はできないと思いますが、思想レベルでは疑うべきでしょう。

 

ps 『人工知能〜』のあとがきは立ち読みでもいいですから(出版社の方申し訳ない)ちょっと読んでみて下さい。私がパラフレーズして似たようなことを言ってしまってますが、非常に良いことを言ってますよ。