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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

人間は忙しくないと寂しいのか

AIの進展による「技術的失業」を心配する方もいらっしゃいます。

 

人間の歴史を概観してみると、一時的に新しい技術により仕事が奪われるものの、結局また「新しい仕事」が生まれ、社会はある程度うまく回っています。

 

自動改札により切符を切る人がいなくなった

 

氷屋さんがなくなった

 

飛脚がいなくなった

 

それでもプログラマーやアフィリエイターなど新しい仕事は永遠と生まれ続けています。

 

もちろん社会に常に仕事があるというのは悪いことばかりではありませんが、これだけ科学技術が進歩しても我々が一向に「暇」にならないというのも皮肉なものです。

 

ケインズが「100年もしたら我々の週の労働時間は15時間になり、そもそも経済的な問題は我々の社会からなくなっているだろう」といったかなり楽観的な予測をしていましたが、この予測は完全にハズレ、むしろ我々は年々忙しくなるばかりです。

 

いつになってもラットレースのように忙しさから逃れることはできません。

 

ここまで「人間が暇にならない」という皮肉な事実を考えると、我々はどこかで「暇になりたくない」のかもしれません。

 

本当に暇になって考え始めると、奴隷に全てを任せていた古代ギリシャの哲学者のように「死とは何か」、「美とは何か」といった「本当に大切な問題」に対峙せざるをえなくなって来ますが、ほとんどの人はそういった問が怖くて無意識的に避けてるのかもしれません。

 

ハイデガーの「ダスマン」のようにくだらない日常の雑事にまみれていたほうがほとんどの人はある意味幸せなのかもしれません。

 

「どうやったら取引先を喜ばせることができるか」

「どうやったら上司をごますれるか」

 

こういったことを考えている間は「死」や「善」などといったレベルで思索を巡らせる必要がないですから、ある意味「ラク」なのです。

 

科学技術と人類の歴史を考えていくと、人は本当に自由な時間や暇を求めているのか、疑問になってきます。