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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

「同一視」の悲しさ

心理学シリーズの続きです。

 

私がここで書いているようなお話というのは、「ネタレベル」としては常識的ですが、「具体例」や「わかりやすさ」などに私のウリがあるので、できたらそこを面白がってください。

 

心理学で「同一視」というタームがありますが、これも先ほどの「合理化」同様、「自分は価値ある人間だと思いたい」人間のプライドと自意識の高さゆえに生じる心の働きです。

 

同一視とは、そのままですが、自分と同じ属性を持っている人が何かしら卓越した結果を残した時に、それを自分の手柄のように喜ぶ心理的作用です。

 

典型が以下のようなやつです。

 

「ミスターも千葉出身なんだよ!」となぜか喜ぶ千葉県出身者。(←千葉出身者ってどれだけいるんだよ!)

 

「あの人は僕の会社の先輩なんだよ!」と、どう考えても接点がない位歳の離れた人を自慢のネタに使う人。(←「先輩」って言うほど直属じゃねーだろ!)

 

「いゆあ、マー君の昨日のピッチングは素晴らしかった」とマー君の活躍がやたらと嬉しい日本人。(←お前はまーくんに会ったことすらないだろ!)

 

自分が受賞者でもないのに「うちの大学は日本一ノーベル賞・フィールズ賞受賞者を多く輩出し・・」と嬉しそうに語るとある地方国立大の出身者。(←お前は何者でもないただの「一卒業生」だし、受賞者と何の関係もないだろ!)

 

etc

 

「いやいや、アンタじゃないじゃん!」とツッコミたくなりますが、人間は共感能力が極めて高いので、自分と近い人間が何かをしただけで自分まで嬉しくなるのです。

 

もちろんこれが「健全な嬉しさ」にとどまっている限りは何の問題もないわけですが、同一視に基づくマウンティングほど虚しいものはありません。

 

大概の場合は「いや、それアンタじゃないじゃん」と一蹴されるようなネタですからね。

 

結局自分に自信がないからこそ、「自分ではない自分に近い人間」でマウンティングをするしかないのでしょう。

 

先程のスネ夫女もそうですが、自分が何者でもないからこそ「白人のかっこいい彼氏がいる」、「うちの旦那はゴールドマン・サックス」と語りたがるわけです。

 

同一視が感情レベルで沸いてくるのは仕方ない話ですが、それを使ってマウンティングをした瞬間に非常に情けない人間になってしまいます。

 

同一視の情けなさを自覚しましょう。