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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

マウンティングに対するマウンティング

ここ数日間、マウンティングに対する批判をしてきましたが、究極的にはマウンティングに対する批判がマウンティングなので、その恥ずかしさについては理解してるつもりです。

 

それを認めた上で私がなぜここまでマウンティングに関してしつこく論じているかと言うと、世の中には

 

本当はただ単に自分の優秀さをひけらかしたいだけなのに、美辞麗句を並べてそれらしく振る舞っている人間が私は気に食わない

 

からです。

 

ブログやFacebook、TwitterなどのSNSはマウンティングツールの典型と言っていいでしょう。

 

先ほども言いましたが、Facebookなどで政治や経済について意見を偉そうに言ってるような人間は結構いますけど、私が「イタイ」と思うのは、それらが所詮マウンティングであるということに自分自身でも気づいていないからです。

 

もっともらしいことを言ってますが、要するに「俺の意見って鋭いだろう」とマウンティングがしたいだけですが、そういった本音について自分ではわかっていないようです。

 

人間はどこまでも自己正当化してかっこつけたい生き物なんでしょう。

 

別に本当に何か社会を良くしたくて政治や経済についてモノを言ってるわけじゃないのに、美辞麗句を並べてかっこつけているからムカつくわけです。

 

ほんとに社会を良くしたかったら、Facebookなんかしてないで熊本や東北にボランティアで行きやがれ、という話です。

 

(これについて正面から反論できる方がいたらぜひ反論してほしいと思います。)

 

私はこのブログでも度々「このブログは私の承認欲求及び自己顕示欲を満たすためのものです。しかしそれが結果的に読んでくれている人にとって面白いものであればいいと思ってますけど」と「本当のこと」を認めていますけど、この本音はあらゆるSNSの投稿に言える話ですし、下手したら大学の研究者などにも言える話です。

 

女の子がブランド物などをInstagramなどにアップするのは明らかに承認欲求の充足やマウンティングを志向しているのである意味「清々しい」です。

 

しかし、実は政治家がかっこいいテーゼを言ってるのも、経済学の研究者が論文を発表してるのも、つまるところはマウンティングでしかないのに、そのことに無自覚だから気持ち悪いのです。

 

論文などを書いている医者で本当に純粋に患者を救いたいと思っている医者がどれだけいるでしょうか?

 

本当は自分の承認欲求を充足することが一番の目的ではないでしょうか?

 

患者は10人しか救えないけど、ハーバード医学部の教授になれ、まわりがチヤホヤしてくれる。

 

or

 

患者は100万人救えるけど、あくまでも黒子としての活躍で自分の名前はどこにも出ず、誰も褒めてくれないため承認欲求は満たせずに身分は「薬剤師」。

 

このどちらかを選べるとして後者を選ぶような人間がどれだけいるでしょうか?

 

結局綺麗事を言ってますけど、みなさんまずはマウンティングや承認欲求ありき、です。

 

ちょっと前にFacebookで、赤本の模範解答をケチョンケチョンにけなして自分の模範解答をアップして悦に入る女性の英語の先生がいましたが、こういったマウンティングはもっともらしいからこそ気持ち悪いのです。

 

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Facebookで政治について長々と投稿している人間なども同様です。

 

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「一見高尚」だからこそ自分でもマウンティングであると気づきにくく自覚症状がなく気持ち悪いのです。

 

タワマンや高級外車をアップする投稿がマウンティングであるというのは自分でも薄々気づいてるはずですが、政治や経済などについての真面目な投稿などをあげている人は、自分でもそれがマウンティングだと気づいていないからこそ気持ち悪いのです。

 

私も15年ほど前に今から考えると恥ずかしいほど無意識のマウンティングをしていました。

 

「やっぱり本は読まないとなあ」

「イラク戦争に興味がないなんて学生じゃないよ」と一見まともなことを私は言ってるつもりでしたが、これはただ単にマウンティングです。

 

しかし自分でも「ただ単に自分の優位性を示すための意見」だと気づいていませんでしたが、それはテーマがそこそこ高尚だからです。

 

斉藤孝や佐藤優があれだけ教養を強調するのも、おそらく本人達は気づいていませんが、「教養」という自分が有利な土俵に周りを引きずり込んで、自分がいかに教養人であるかを認めてもらう、というモチーフが必ず根底にあります。

 

だいたい、これを言っちゃおしまいですが、自分が全くあずかり知らぬ人間に教養があろうがなかろうが実はどうだって良くないですか?笑

 

なんで自分が全く知らない人間にわざわざ教養を身に付けるように勧めるのか?

 

それは自分の有利な土俵に人を引きずり込みたいからです。

 

私も人に本を勧めたりしますが、やはり深層心理では自分の教養レベルを認めて欲しいというモチーフがあるような気がします。

 

「カトハヤ君はたくさん本を読んでいてすごいなぁ」と認めて欲しいから本を人に勧めているという事実は否定できません。

 

いかに自分が優秀で価値ある人間であるかを他人に示したい、そして認めて欲しい。

 

究極的に社会的な行動のほとんどはほぼ全てこれです。

 

繰り返しますが、私のブログだってそもそもマウンティングなわけですし、別にそれはそれで認めます。

 

私が気持ち悪いのは、自分が言ってることがマウンティングだと気づかずにマウンティングしている馬鹿な輩です。

 

こういったタイプの人間だけは気持ち悪くて近寄れません。

 

マウンティングをマウンティングであると自覚しましょう。