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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

嫌いな人は自分の鏡という事実

私の友人や知り合いが別の第三者を嫌っていて、その理由をよく聞くと、笑ってしまうことが非常に多い。

 

例えば「あの人はお嬢様で世間知らずだ」とAさんがBさんを批判したりしているわけですが、私のような第三者から見ると、AさんもBさんも「同じ穴のムジナ」だったりします。

 

「あの人は自己顕示欲が強い」と言っている人は自己顕示欲が強い人です。

 

「あの人はコンプレックスが強い」と言っている人はコンプレックスまみれな人です。

 

人間とは面白いもので、「自分の欠点や嫌いな性格」を持っている他人を見ると批判せずにはいられないみたいです。

 

それと「現在克服した昔の自分の欠点」を持っている人間を見つけると批判したりいじくったりしたくなるのも人間というものです。

 

大学デビューや社会人デビューをバカにするのは高校デビューという話です。

 

「昔いけてなかった自分」が深層心理にあるからこそ、デビュー君を馬鹿にしていると痛快なのです。

 

人は自分とは全く無関係の人間にはプラスの感情もマイナスの感情も抱きません。

 

また、私はひがみっぽい人間や下から歯向かってくる人間が大嫌いですが、それはおそらく「俺ももし落ちぶれていたらこうなってたんだろうな」とイメージが沸くからでしょう。

 

そして何故かこういう人間に出くわすと痛快です。

 

それは、「ああ、俺はこうならなくてよかったなぁ」、「俺もこんなひがみっぽい発言をしていたかもしれないな」と妙な安心感が得られるからです。

 

例えば明治あたりの学歴で「学歴なんて関係ないから」と顔を真っ赤にしてムキになる人間がいたとして、こういった人間を見ると、早稲田や慶応の卒業生は、非常に不快で痛快なわけです。

 

なぜか?

 

「早慶に全敗して明治に進学&学歴コンプまみれだったかもしれない自分」がイメージできるからです。

 

「タワーマンションなんて災害の時困るし、だいたいタワマン住むやつなんて見栄っ張りだろう」と千葉や埼玉、足立区に住む人間に言われたところで、私は痛快で仕方がないのです。

 

ああ気持ちいい。笑

 

「専業主婦なんて旦那に食わしてもらってるだけ」とスーパーのレジ打ちをしている女性に僻みで言われても、言われたほうは痛快なだけです。

 

「ああ、そっちサイドにならなくてよかった」と心底安心できますからね。

 

私も男性ですか、この感情は理解できます。

 

これはなかなかアンビバレントなもので、自分がうまくいかないとひがみっぽいのがわかってるからこそ、ひがんでいる人間がどうしても可愛く見えてしまうんです。笑

 

そしてそれは「痛快」と「不快」が入り混じった何とも言えない感情と言いましょうか。

 

おそらく私が天皇家やハプスブルク家に生まれていたらこんな感情を持つ必要はなかったんでしょうが、やはり凡人であるがゆえに、「落ちぶれて嫉妬根性まみれの自分」がかすかにイメージできるからこそそういう人間を見ていて痛快で不快なのです。

 

「ポルシェやタワマンを指をくわえながら見ていたかもしれないダサい自分」がかすかにイメージできるからこそひがんでいる人間を見て痛快かつ不快なんでしょうね。

 

嫌いな人間は自分の鏡と言いますが、「嫌い」というのは何かしら自分と関係があるということです。

 

繰り返しますが、人間は本当に無関係な人間にはプラスの感情もマイナスの感情も抱かないわけですから。