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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

活字は力なり

私が昔Facebookをやっていた時、よく私の投稿を気にいっていただいて「会ってください」といったコメントやメッセージを頂くことがありました。

 

しかし、私はほとんどのケースにおいて実際にお会いすることはありませんでした。

 

理由は単純で、おそらく私と会うよりも私のブログや投稿を見てもらったほうが価値ある時間の使い方だと思うからです。

 

ショーペンハウエルという哲学者も言っていますが、「活字とはその人の精神の結晶」です。

 

実際に会ってお話をすれば、チンコだのマンコだのいろいろとくだらない話をするわけですが、やはり文章というか活字は、必然的に私の思考の一番凝縮されたものになります。

 

全く無駄がなく、私の思想や哲学が濃縮されているのです。

 

おそらく私と1時間会ってお話しするよりも、私のブログや投稿を5分見るほうが圧倒的に正しい時間の使い方です。

 

飲食店や美容院などで延べ100時間以上コミュニケーションをとったことがあるお店の方ですら、いまだにまともな話をしたことがなく、その人の思想や哲学など何一つわからない場合がほとんどです。

 

逆に、私と100時間以上話したことがあるにもかかわらず、私がこのブログで述べている様な事を一切知らない人も山ほどいます。

 

結局何が言いたいのかというと、会話というのは非常にとりとめのないもので、人と話をしてもあまりその人の思想や哲学はわかりません。

 

「いやー昨日の巨人はすごかったですね」

「そうですね、坂本のホームラン見ました?」

「ええ、あのスリーランで流れが変わりましたねぇ」

「最近巨人が調子いいですから、酒もなかなか進みますよ」

「ロマネコンティあけちゃいましょうよ」

to be continued

 

 

「最近奥さんとどうですか?」

「いやあ、まともな会話もないし全然セックスレスですよ」

「そうですか。なら、ピンサロでも行きますか?笑 五反田のkatohayaanというピンサロは20分3,000円でなかなか可愛い子つきますよ」

「いやあ、風俗はあんまり好きじゃないんですよ」

to be continued

 

活字にすると恐ろしいほど空虚ですけど、我々の「日常会話」なんてこんなもんですよ。

 

特に女子大生の会話なんて会話の90%はこんなレベルじゃないですか?

 

こう言ってはなんですが、「まじでくだらない」としか言いようがないです。笑

 

しかし、やはり「文は人なり」と言いますが、文章は記録に残るものですし、活字は目に見えるために無駄が少ないのです。(ちなみに、予想される反論があるのであらかじめ答えときますが、別に私は人間の会話の全てにものすごく意味を求める必要はないと思っています。子供や恋人と話す会話にたいして中身や意味がない事は自明ですが、それはコミニケーションそのものに意味があるからいいのです。私は、「たいして好きでもない人とどうでもいい会話を日常でしていること」に疑問を感じているだけですから)

 

ちょっと大げさに言えば、私のブログの読者の皆さんは、私のイトコや両親より私の哲学や思想について理解してると言っても過言ではないでしょう。(それにどれだけ意味があるかどうかはさておき。笑)

 

それは結局、ブログでは無駄話が一切なく私の思想的な部分しか表現されていないからです。

 

どうせ実家で両親と話しても、笑点でも見ながら、「○○小の時の鈴木君は最近大阪に転勤になったらしいのよ。大変ねぇ、鈴木くんのお母さんから聞いたわ」、「スーパーでブロッコリーが安かったからこれ作ってみたんだけど」といったどうでも良い話にしかなりません。

 

ですから、私が書いた文章ほど私の思想が凝縮された媒体はありませんし、それはあらゆる書籍やブログに言えることです。

 

繰り返しますが、文は人なり、活字は力なりです。

 

文章ほどその人の人間性や哲学が凝縮されてるものはありません。