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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

外国語テストの限界

何度か言っていますが、私は昔予備校講師をやっていたので、今でもたまに英検やTOEICの問題をチェックしたりしますが、有り体に言うと英検もTOEICも「所詮テスト」という意味では限界があります。

 

(ちなみに私は英検1級ですから別に「できない僻み」で言っているとかではありません。笑)

 

結局、我々が人生で本当に外国語を使う時というのは何かしら自分に関わりがあることです。

 

しかし英検やTOEICの何がくだらないって、例えばリスニングであれば、架空の、しかも他人がペラペラ喋っていることを聞いてそれについて内容を暗記して設問を解く点です。

 

そもそも普通の会話で相手の言ってることを一方的に聞いてそれについて設問に答えるとかはまずあり得ません。

 

聞き取れなかったら直接聞き直せばいいわけですし、相手の表情を見ながら会話ができるわけですから。

 

リーディングにしても、自分の興味のない文章についてしかもマークシートのマルバツ問題を解く、とかは狂気の沙汰としか思えません。笑

 

これはいわゆる国語の現代文の特にマーク式問題にも言えることですけどね。

 

自分が興味ない文章読んでマルバツつけてどうするんだって言う話です。笑(とは言え、現代文のテストに全く意味がないとも思わないですけどね、読解力を測る指標という意味では。この話を突き詰めていくと、そもそも高校レベルの勉強などは「興味がない人間」はやらなくてもいいんじゃないか、というお話につながっていきますね。)

 

繰り返しますが、実際のコミュニケーションというのは、「自分」が生きている上で必要があるから生じるわけであって、「点数をつけるため」に存在しているわけではありません。

 

外国語試験も「本当に簡単にざっくりと外国語能力を試す目安」程度であれば問題ないのですが、英検やTOEICで高得点を取得することが「目的化」してしまっては「本末転倒」と言うほかありません。

 

残念ながら今の語学業界では完全に点数が目的化してしまってますからね。(就職や昇進で必要だから仕方ないわけですけど、ホントはおかしいわけです)