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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

パンチラと幸福

下ネタですが。笑

 

パンチラについて考察しながら人間の幸福について論じたいと思います。

 

ふざけてるようでパンチラには人間の幸福に関する示唆的なお話が多々含まれています。

 

まず、定義ですが、パンチラとはスカートから女性の下着がチラリと見えることです。

 

そのままですけど。

 

しかし、面白いものですが、彼女や妻が下着姿で家を歩いていてもなんとも思わないわけです。

 

あくまで

家の外で、ちょっとだけ見えるからこそ面白いわけです。

 

興奮してしまうわけです。

 

これは人間の幸福を考える上で非常に示唆的です。

 

私は何度も言っていますが、人間の幸福とは客観的な状態ではなく優れて主観的なものです。

 

有り体に言えば、彼女や妻が下着姿で家をうろついてる方が、下着の見えてる部分は多いわけです。

 

しかし、恵比寿のエレベーターでちょっとだけ下着が見えると妙に嬉しい。

 

見えている面積だけで言えばこっちの方が少ないわけですがそれでもこちらの方が嬉しいわけです。

 

幸福とは客観ではなく主観であるということの証左です。

 

これは結局、人間は当たり前のことよりもできそうでできないことがギリギリできている方が圧倒的に興奮する、ということです。

 

つぎに、なぜ彼女や妻の下着姿には興奮しないのにパンチラには興奮するのか?

 

これは結局のところ、人間の幸福とはデフォルトからの乖離(絶対値)で決まるという私が何度も主張している例のお話です。

 

佐々木希や石原さとみが妻になったとしても、やはり彼女たちが家で下着姿でうろついていてもおそらく興奮しなくなると思うんですよ。

 

結局、人間はそれが他者から見てどれだけ羨ましいものであっても、「自分の中のデフォルト状態」には一切心踊ることはないのです。

 

「別に一定以上金持ちになっても意味ないよ」と私が主張している理由はここにあります。

 

また、家の中で下着でうろついているのと丸の内や新橋で予期していないところで下着が見えるのでまた興奮度が違います。

 

これは結局人間の幸福というのが「期待値とのギャップ」で決まるからです。

 

金メダルを期待していて銀メダルなら悲しいわけですが、メダルなんてとても無理な参加賞のレベルの人間が棚ぼたで銅メダルを取れたら死ぬほど嬉しいわけです。

 

競馬でも1番人気で2着なら悔しいですが、ビリ人気で5着に来たら非常に嬉しいわけです。

 

「客観的」には前者の方が後者より上なわけですが、「主観的」な幸福度は逆なんですよね。

 

結局期待値とのギャップです。

 

面白いもので、人間あまり期待していないときの方が幸福感を感じやすいものです。

 

そして最後にちょっと哲学的な話ですが。

 

下着というのも突き詰めて言えば、「布」でしかないわけです。

 

ただの布に価値を見いだすのは我々が人間だからです。

 

例えば、金は自然界ではただのAuですが、今の世界で金にはものすごく価値があるとされています。

 

これも結局我々が金に価値を見出しているからです。

 

パンチラも所詮でも布1枚の話ですが、どうやら我々はその布1枚に何かしらの価値を見出してるのでしょう。

 

くだらないようで、パンチラには幸福を考える上で非常に示唆的なお話が多々含まれています。

 

まとめると全ては主観だということです。