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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

年収に関する不都合な真実

ここ数日、年収と幸福度の話をしてきましたが、なぜ私が「すごくがんばって年収を上げる」ことの無意味さを説いているかというと、そもそもどれだけ努力をしても年収は上がらないからです。

 

これは皆さんもうすうす気づいている事かもしれませんが。

 

通常

年収は社会への貢献度であり仕事の能力の反映である

と思い込まされていますが、こんなのは完全なる嘘です、不実です、まやかしです。

 

あえて「極例」で考えてみたらわかると思いますが、一度飲食店の店員やタクシー運転手になって「死ぬほど努力をして仕事ができるようになった」と仮定してみて下さい。

 

飲食店の店員なら、メニューの歴史やうんちくを死ぬほど勉強し、接客のためのセミナーに通い、メニューを頼んでもらうための心理学も勉強しetc

 

タクシーの運転手なら、あらゆる会話に対応するために必死に新聞や本を読み、お客さんを気持ちよくするために心理学を学び、地図を暗記するほどあらゆるルートを覚えetc

 

こういった努力をすれば彼らの年収は2倍3倍と上がっていくのでしょうか?

 

非常に残念ですが、そんなことはないのです。

 

(これは非常に説得力がある例だと思っていますから、この例をもってしても「いや年収は仕事の能力を反映しているのだ」と主張する方は論理的な根拠を添えてコメントしてください。そしてそれは飲食店やタクシー運転手ではなくサラリーマンであっても本質的には何もかわりません。)

 

それは所属している会社があまりにショボイからです。

 

そうなのです。

 

日本社会では、「新卒で入った会社がすべて」であり、入る会社を間違ってしまったらそこからいくら努力しても永遠に給料は上がりません。

 

厳密に言えば、年収が能力を反映してることもありますが、それは所属している会社の利益率や業種等が極めて近い場合に限定されます。

 

三井物産で出世してる人間と丸紅でくすぶっている人間の年収に差があるとすれば、それは一定程度能力の差と言えます。(まぁサラリーマンはどこまでを「能力」と定義するか難しいですけど)

 

プロ野球選手で年収3億円と年収1000万円なんて如実に「プロ野球選手としての能力の差」でしかありません。

 

カリスマ美容師で年収3000万の人とアシスタントで年収150万の人の差も「美容師としての能力の差」でしかありません。

 

しかし、業種や会社がまるで違えばそもそも大前提が崩れますから。

 

三井物産の年収2000万円と料理人(美容師)の年収400万円を単純に比較して前者は後者の5倍価値がある、とは言えないのです。

 

それはあまりに業種や会社の規模が違いすぎるからです。

 

この不都合な真実はいくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。

 

そこそこいい大学を出てそこそこいい企業に勤めている人間が「いやあ、まぁ僕も結構給料いいけど、結局給料って社会への貢献度だと思うからねえ」なんて女の子の前でカッコつけてると、私はまじでぶっとばしたくなります。笑

 

「たまたま入った会社が利益率の高い会社だった。そしてそういった会社に入れるためにブランド大学に入った。そしてそれは多分に遺伝と環境のおかげ」

 

これがエリートが認めたくない不都合な真実です。

 

私もなんだかんだ言って平均以上の所得の家庭に生まれて平均以上のIQを持って生まれてきたから現在の自分があるわけで、「努力したからそこそこ成功した」なんて口が裂けても言えません。

 

そんなことを言うほどずうずうしくはないつもりです。

 

世に言うエリートなんて、ほとんどが遺伝と環境の賜物です。

 

「本人の自発的な努力」などせいぜい成果への寄与率は1割でしょう。

 

家庭環境が4割

生まれ持った頭が3割

努力できる才能が2割

 

これで9割方決まっていますが、残りの1割は自発的な努力という要素でしょうか。

 

あまり家庭環境が恵まれていなく、完全に自分の力でのし上がった(ように見える)人は、一般的な傾向として「努力」を強調したがりますが、これも自分の生まれ持った頭や努力できる才能に無自覚だからそうなるのです。

 

私なんてマシーンみたいに淡々と仕事や勉強ができるから、「ああ、自分は努力する能力があるんだなぁ」となんとなく自覚症状がありますが、世の中には「努力できること自体が才能である」という感覚が欠如している人間があまりにも多いと思います。

 

そういう人間が新自由主義を支持するのでしょう。

 

「なんでやらないの?」なんて能力的に恵まれてる人間の戯言です。

 

ちょっと話が脱線しましたが。

 

結局何が言いたいのかと言うと。

 

ある一定の年齢になってからどれだけ努力をしても年収は上がらないし、その前提を受け入れて、所得をそこまで上げずに幸せになる方法を考える方が大切です。

 

私が思いつく限りで言えば、一定以上の年齢になってから死ぬ気で(まぁまぁの)金持ちになりたかったら、起業するか資格試験に挑戦するかの2択しかありません。

 

しかし、本当に「不都合な真実」を言ってしまうと、起業して成功したりお金になるような難関資格試験に受かるような人だったら、そもそもブランド企業に行くための前提として早慶くらいのブランド大学に入れる位の能力がありそうなものです。(ああ、なんて悲しい本当のことを言ってしまうんだ、、)

 

ただ、起業はともかく会計士や司法書士クラスの難関国家試験であれば人生が大きく変わるかもしれませんから「一縷の望み」にかけてみる可能性はあるかもしれませんが。(起業は圧倒的に運の要素が強いので、資金調達に自信がない人以外はやめたほうがいいです。あと、医学部や司法試験は小学生からコツコツ勉強してきたような圧倒的に勉強が得意な人間と勝負することになるので、まず凡人にはノーチャンスだと思ったほうがいいでしょう。資格試験の予備校は本当のことを言いませんから。例外事例として「地頭はすごくいいけど、家庭環境が異常なまでに恵まれていなかった」方と「料理人や美容師といった職人系の仕事であまり適性がなく芽が出なかったが、地頭がいい人」だけは司法書士や会計士ぐらいならチャンスがあると思いますが、並(の定義は難しいが)か並よりちょっと低い位の家庭環境で日大や東洋、それ以下の大学に進学するような人はそもそもIQと努力する才能に恵まれていないですから、当然難関資格試験なんて受かるはずがありません。これは例外ももちろんありますけど。)

 

繰り返しますが、少なくとも雇われで給料が上がる事は絶対にありません。

 

三菱とか三井とかブランド企業に入らない限り、雇われの限界というのは見えています。

 

「いや、カトハヤさん。これからは個人がメディアの時代ですよ。大企業とかそういう時代じゃないでしょう。」という反論がありそうですが、そういうことを言う人は基本的に能力が高い人でかつ自分が能力が高いことに無自覚の人でしょう。

 

「普通の人」は自分でメディアを作ったりメルマガやブログを書いて発信したりとかそんなことができないから「普通の人」なわけですよ。

 

確かにホリエモンや ちきりん みたいなケースは理想論としては存在しえますが、ホリエモンや ちきりん はどう考えてもイカレてる位頭がいいわけですよ。

 

同じことを普通の人ができるはずがありません。

 

給料や年収に関して、これだけは日本人に伝えたいと思います。

 

いや、意地悪とかじゃなくて本当にそうなんですよ。