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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

相対評価で幸せになろうと思っても、、

ここ数日、年収と幸福についていろいろ論じていますが、不幸な人生を歩むための鉄則というのがあります。

 

それは相対評価の土俵で幸せを得ようということです。

 

年収にせよ彼氏のスペックにせよ職歴や学歴にせよ、結局は相対評価の戦いですから「自分より上に人がいない」という事は原理的にほぼあり得ません。

 

足の速さで言えば、ボルト以外は1番ではありませんし、所得で言えばビルゲイツ以外は全員1番ではありません。

 

港区が1番、財務省が1番といったところで、それは厳密には「ある程度枠を定めた上での1番」でしかありません。

 

当然財務省で100人人間がいれば、「100番目」の人間は間違いなく存在しますし、タワーマンションでも低層階で苦渋を舐める人間もいます。

 

結局世の中の価値はそのほとんどが相対的の判断ですから、そこの土俵で幸せになろうというのはあまりにもコスパが悪いとしか言いようがありません。

 

ですから幸せになるためのコツは、「自分の中での絶対的な価値」を見つけることでしょう。

 

子供が可愛い

サッカーが楽しい

将棋が楽しい

etc

 

こういった喜びは人と比較してなくなるものではないですが、俗的な価値は全て相対的な序列ですからどこまで行っても満足することはありません。

 

もちろん現実の世界に生きていると相対的な判断をされることもありますし、べつにそれは仕方のない話です。

 

私が言いたいのは、それは大前提として、そういった世界で幸せになろうと思っても虚しいだけですよ、という話です。

 

年収や仕事で比べられる。

 

これは社会生活を営む以上避けられませんからそれ自体を否定してるわけではありません。

 

ただ、そこから幸せを得ようと思っても限度がありますよ、ということです。

 

私は20歳位にそのことについてはもう悟っているのである意味楽ですけど、20歳ぐらいまで相対評価で勝っている人間であればあるほど、「もっと欲しい」というスケベ心はなかなかなくなりません。

 

これは麻薬だと思います。

 

しかし、麻薬の危険性に早く気付き相対評価ではなく自分の中での絶対的な価値を見つけることが幸福への道でしょう。

 

私はそのように考えています。