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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

可哀想な東京カレンダーの世界

※ここ直近の3つ、4つの投稿はシリーズ物のようにある程度中身的につながっていますので、時間がある人は前後の投稿も読んでください。

 

「年収500万円〜700万円以上から先は年収と幸福度なんて比例しないのだから、がんばって収入を増やすのは馬鹿げている」

 

と何度か言ったわけですけど、東京の港区や渋谷区にいる人はどうしても「お金で買える幸福」というドグマから抜け出せないように見えます。

 

商業主義に完全に翻弄されているわけです。

 

しかし、ひょっとしたらほとんどの人はうすうす気づいているのかもしれませんが、なかなかその価値観を捨て去ることができません。

 

東京の拝金主義は麻薬のようなものです。

 

わかっていてもやめられない。

 

麻薬やカッパエビセンのような中毒性があります。

 

これは結局のところ、「金を持って金を使っている人間が偉い」という価値観を都会が自然と醸成してるからでしょう。

 

東京カレンダーのコラムがそれを体現しています。

 

私は半分東京育ちですから、渋谷や世田谷の世界というのはある種デフォルトで、水や空気のようなものですが、地方出身者の人から見るとやはり東京のきらびやかな世界というのはなかなか魅力的なようです。

 

地方出身者で東京に来た人間も、おそらく地元にいたときにはそこまで拝金主義やブランド主義ではなかったはずです。

 

それが東京に出てくることに完全に汚染されてしまった。

 

これが実情でしょう。

 

(まぁ地方の中でもわりとブランド志向のやつが東京に出たがる傾向はあるわけですけど)

 

しかし、一度拝金主義的な世界を知ってしまうともう地方へは戻れない。

 

これが知ることの恐怖です。

 

よほど哲学や政治学といった学問的な世界に精通し、東京の商業主義を相対化出来るような目がない限り、どうしても地方の価値観には戻れません。

 

スマホがない時代にはスマホがなくても何も問題がなかったわけですが、スマホがデフォルトの我々から見ると、もはやスマホがない世界には戻れないように。

 

そして、東京の商業主義の内部での飽くなきマウンティング合戦に翻弄されるわけです。

 

地方から東京に出てきた人間は心のどこかで地元の人間を見下し「自分は1段上のステージに来た」と勘違いしてると思いますが、東京に来たことによりどんどん不幸になってる人が後を絶たないのは資本主義の宿命なのでしょう。

 

ハッキリ言いますが、金とか学歴とか美貌とか圧倒的なリソースがあって圧倒的に勝てる自信がない人間以外は東京なんて何も面白くないですし、ただただきらびやかな世界にいるものの何一つ自分では手に入れられず恵まれている人間を指をくわえて見ているだけになりますから、ただ単に憧れで東京に来る事は絶対にお勧めしません。

 

嫌なこと言いますけど、スポーツや芸術といった明らかなストロングポイントがない限り、高校生も東京になんて来ないで地元の大学に進学して地元の価値観でワイワイやってる方が「井の中の蛙」で意外と楽しいものです。

 

(地方から明治とか法政に行く位なら、地元の南山(名古屋)、金沢大(石川)、岡山大とかに進学して地元の県庁でもいたほうが100倍主観的には幸せですから。余計なノイズが耳に入ってこないので。明治法政にいたら東大一橋早慶など「上」に人がいすぎますし、明治法政から行ける企業なんて知れてますし、「東京の価値観」からするとどうやっても上に人がいすぎて辛いと思いますから。「俺はそんなの気にしない」ならいいんですが、じゃあ別に東京にいる必要なくないすか?と話は戻るわけです。東京は圧倒的に勝てる人間が他者から称賛される上ではこの上なく気持ちいいですが、指を食わえて見ている立場から見るとこの上なく辛いですから。)

 

みなさん、相対主義の罠にはまり、本も読まずに世界を相対化することなくアリ地獄のような世界で日々悪戦苦闘しています。

 

ここまで書いておいてなんですが、なかなかこれに対する明確なソリューションはありません。

 

ただ私は現状分析したまでです。

 

人類はどこで間違ってしまったのか。

 

マルクスでも読みながら考えてみましょうか。