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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

年収と幸福度2

前の投稿の続きですが。

 

「なぜ年収が上がっても幸福度が上がらないのか?」についてそのカラクリをさらに詳細に説明しましょう。

 

私の友人にはわりとお金持ちの人多いので、「金持ちの生態」について、私はある程度熟知しているつもりです。

 

私が、「年収が上がっても幸福度が上がりません」と言うと、「どうせお前もお前の友達も金持ちだからそんなことが言えるんだ」というありきたりな反論があるでしょう。

 

しかし、そんな事はありません。

 

前の投稿でも論じましたが、人間はあらゆる状態に「慣れる」動物です。

 

今年収500万円の人は、「年収1000万円になればあんなことができるのに」と考えるわけです。

 

たしかに、年収が500万円から1000万円になった「直後1、2年位」はおそらくかなり幸福度が高いと思います。

 

しかし、年収1000万円に慣れてくると今度はそれが「デフォルト化」します。

 

基本的に人間は自分の所得水準に見合った生活をデフォルトとするので、年収が上がっても結局家賃や車、日々行く飲食店といった固定費が上がっていくだけなので、日々幸福で仕方ないなどという事はありません。

 

「あんな店に行けたらいいのに」と憧れていたところで、それがデフォルト化してくるとその高級レストランも「昔の自分にとっての吉野家」と大差なくなります。

 

いまいちピンとこない人は少し想像力を働かしてください。

 

例えば、エチオピアやモザンビークの人間から見ると日本の年収300万円の生活というのは「夢のような生活」です。

 

「蛇口からきれいな水が出るなんて」

「こんなに安くおいしい牛丼が食べられるなんて」

「スマートフォンを持てるなんて」

と彼らは感動するでしょうけど、日本人であればどれだけ貧しくても、それらがデフォルトでない人はいないので、こういったことに感動する日本人はいません。

 

日本で貧しい人は上を見て「年収が増えれば幸せになれるのに」と思い描いていますが、下から自分を見てみるとそれがいかに滑稽かわかるでしょう。

 

また、結局人間というのは「身近な他者」と無意識の比較をします。

 

年収500万円で埼玉で生活をしていた人間が年収が上がり、年収1500万円になり港区に引っ越してきたところで周りとの相対的な力関係で言えば実は何も変わりません。

 

なぜならば、埼玉の北部で年収500万円でも港区で年収1500万円でも「相対的な立ち位置」は何も変わらないからです。

 

年収1500万円になっても埼玉にいればいいところを、やはり見栄を張りたくなるのが人間なのです。

 

「この年収なんだから港区でメルセデス」となるのが人間です。

 

また、学生時代の流れからで言えば、結局年収が高い人間というのはそれなりに学歴が高い人間ですが、学歴が高い人間同士のコミュニティですと、目標となるデフォルトが高くなりますから、相対的な幸福度はたいして変わらないのです。

 

例えば学生の就職話にしても、東大生や京大生同士のコミュニティであれば、「なんだあいつは法務省、二流省庁だな」、「なんだあいつは三菱商事ではなく丸紅か」といった具合にデフォルトがものすごく高く設定されていますから、「主観的な幸福度」で言えば「三井住友ビザカードに就職した地方出身の明大卒」のほうが上だったりする位です。

 

別の投稿で「上に行きたければ周りのデフォルト上げろ」といった趣旨のことを私は言っていましたが、たしかに社会的に上昇するには周りのデフォルトをあげるべきですが、「幸福度」という意味ではデフォルトを上げてもたいして変わらないのです。

 

ただこれはかなりの程度主観的です。

 

「大変な思いをしても偉くなることに圧倒的な人生のプライオリティーがある人」もいるでしょうし、私のように「偉くなれるものなら偉くなりたいけどすごく頑張ってまで偉くなりたくない人」もいます。

 

これは価値観と言うほかないでしょう。

 

ところで、中途半端にお金があるとそれなりに見栄を張るのが人間です。

 

そして見栄というのは、「相対評価」でしかありませんから、底なし沼であり全く幸福感を生まないものなのです。

 

東京カレンダーの世界がまさに好例です。

 

じゃあ結論としてどうすればいいのか?

 

・まずは年収500万円くらいまではさすがに年収と幸福度が比例してるのでがんばってみる。

 

・そこから先は「がんばらなくても年収がどんどん上がる人」は一応年収を上げる方向で頑張る。「すごくがんばって年収を上げる」のは滑稽と悟る。

 

・見栄とかよりも、「お金がかからない好きなこと」で人から承認されることを目指す。例えばサッカーとか将棋とか、ブログとか。

 

こういった方向で考えていけば、多くの人は「相対評価の罠」から抜けられるのでしょう。

 

※最後に断っておきますが、「年収が上がっても『たいして』幸福度が上がらない」だけで、もし宝くじに当たってお金がもらえたり、親が金持ちで相続できるなら、それはもらったほうがいいですよ。

私が言ってるのは「コストパフォーマンス」の問題ですから、「がんばって年収を上げるのは馬鹿げている」だけで、別にお金があるに越した事はないです。上でちょっとミスリーディングな言い方をしたかもしれないので。