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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

「いつか死ぬ」ではない

このブログをお読みの貴方はおいくつでしょうか?

 

50代の方から10代後半の方まで様々な方がいらっしゃると思います。

 

人によって「死」の捉え方も違うでしょう。

 

我々は頭の中で「自分はいずれ死ぬ」と思っていますが、死刑宣告や「余命○ヶ月」のように「○月○日(頃)に死ぬ」とわかっているわけではないので、日常的に暮らしていると「死」という悲しい事実についてついつい忘れがちです。

 

これをドイツの哲学者であるハイデガーは「ダスマン」と揶揄しています。

 

「あと1年で確実に死ぬ」と分かっていたとして、必死に働いてメルセデスやロレックスやタワーマンションが欲しいでしょうか?

 

あと1年で死ぬとわかっていて、今日が1/365だと強く意識していたら、歌舞伎町で遊んだりつまらない上司と新橋で飲んだりするでしょうか?

 

当然答えはノーでしょう。

 

私は人生でもっとも大切なリソースはお金でも物でもなく「時間」だと思っています。

 

贅沢をするためにしゃかりきに働くなど論外です。

 

本当にあと1年しか生きられなかったら何をしたいのだろうか?

 

そのように自問自答すると、明らかに無駄なことを日常から排除することができるでしょう。

 

徒然草で吉田健康も

「みんないつか出家したいって言うねんけど、『あれが終わってから』とか言うねんなぁ。そんなん言ってたらいつまでもその『出家の時』なんてけーへんよ」(関西弁訳)と言っていますが、私はその意味するところが非常によくわかります。

 

このように「限りある生」を突き詰めていくと、最終的に何がしたいのか見えてくると思いますが、やはり

 

好きな人と好きなことをしたい

 

最終的にはここに行き着くと思うのです。

 

他人から承認されたい

 

とか

 

ブランド物が欲しい

 

とか

 

モテたい

 

とか

 

 

そういった欲望は限界状態になると極めて二次的だと思うんですよね。

 

ちなみに、こういったお話になると似たようなアドバイスとして「明日死ぬかもしれないと思って生きなさい」というアドバイスもあります。

 

たしかに、理屈の上では今日死ぬもしれませんし、明日死ぬかもしれませんが、ここまで極端な思考実験をしてしまうと、結局何もできなくなってしまうと思うのです。

 

ですから、「毎日大切に生きる」ためのよすがとしてちょうどいい思考の塩梅というのが「あと1年」ないしは「あと3年」くらいだと私は思っています。

 

これぐらいだと生の有限性を感じつつ、完全なる限界状態でもないちょうどいい塩梅だと思うからです。

 

メメントモリですね、究極的には。