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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

ノーベル賞受賞者の出身校から言える事

私はたびたび勉強や受験の話をしますが、まぁ興味ない人はスルーしてほしいんですけど。

 

世の中には、受験学力等に対して非常に肯定的な人と非常に否定的な人の2パターンが非常に多いと思います。

 

結論から言うと私はその「間」なんですけど、受験学力と知的レベルが完全に正比例だと勘違いしてる人が世の中にいます。

 

例えば早稲田出身の人と明治出身の人がいて、「学歴だけ」で後者より前者の方が「知的レベルや教養レベルが高い」と考えるような人は日本人に非常に多いと思います。

 

まぁ、私はこういう人間は馬鹿だと思ってますけど。

 

では、受験学力と知的レベルには全く関係がないのか?

 

やはりそれもちょっと違うんですよね。

 

これは私の持論(ノーベル賞理論と呼んでますけど、誰か広めてください)ですが、教養水準や知的レベルと受験学力は基本的に対数logの関係だと思っています。

 

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おそらく偏差値60位までは、受験学力とおよそ人間の知的な能力の全ては比例してると言っていいです。(100人に1人位の例外はいると思いますけど)

 

しかし、偏差値60を超えてくるとあまりその相関はなくなってきます。

 

出身校の偏差値が62の人間より偏差値66の人間の方が圧倒的に知的レベルが高いのか?と聞かれたらそんな事はないと思います。

 

テストの能力は所詮処理能力や暗記能力だけを試しているものだからです。

 

このケースだと前者より後者の人間の方が「受験学力が高い」だけで、前者の方が後者よりも自分で考える力やプレゼン能力、哲学的に深く考える力が上だったりする事はよくあります。

 

仕事の能力も前者の方が後者よりも上の事はあり得るでしょう。

 

しかし、やはり偏差値50と60の「差」は単純に脳のスペックの「差」と言えます

 

誤解を恐れずに言えば、日大や東洋大学、それ以下の大学にしか入れない人は、受験学力が低いのではなく、ただ単に脳のスペックが低い。

 

ここでムキになって反論する人もいるかもしれませんが、これは事実なので仕方ないです。

 

スポーツに例えて言えば、基礎体力と個別の競技の能力に似ています。

 

阿部慎之助と香川真司を比べたときに、それぞれ、野球への適性とサッカーへの適性を感じます。

 

阿部慎之助がサッカーをやったら、絶対プロにはならないでしょうし、香川真司が野球をやっても絶対プロにはなれないでしょう。(余談ですが巨人の坂本あたりはサッカーでも成功したようなタイプでしょうけど)

 

しかし、おそらく彼らは草サッカーや草野球のレベルだったらどんなスポーツをやってもできると思うんです。

 

人間の知的能力も似てるところがあります。

 

偏差値60位までは基本的に脳のスペックの問題であり、そもそもここに到達できない人は文章を書かせても哲学的に考えさせてもおそらく大したことはできません。

 

しかし、偏差値60位を超えてくると、「適性」の問題がかなり出てきます。

 

つまり「暗記能力に優れているのか」、「考える力に優れているのか」、「処理能力が高いのか」etc

 

どこで勝負するかによって変わってきます。

 

ですから、私は偏差値60位までは極めて学歴主義ですけど、その閾値を超えたら個人差の方が大きいと思っています。

 

例えば関西で言うと京大卒と神戸大卒の間に受験学力以上の脳のスペックの差があるかと言うとほとんどないと思います。(「聞こえ」はかなり違うでしょうけどね)

 

まぁ、「京大卒100人」と「神戸大卒100人」の「平均値」で比べたらやはり差はあるような気がしますが、個人個人で見たらばらつきがかなりあるので結局個人差という話になるでしょう。

 

少なくとも私は早稲田や立教、神戸大の出身者と話していて東大や京大の出身者と優位な差を感じる事はほとんどありません。

 

しかし、やはり神戸大や早稲田と日大や東洋大、甲南大には極めて大きな差があります。

 

大げさな言い方をすると、頭が回転や知識量、ボキャブラリー、あらゆる点においてやはり大きな差があるのです。

 

日本のノーベル賞受賞者を見ても、当たり前ですが全員が全員東大理三出身者ではありません。

 

もし仮に受験学力と知的レベルが完全に比例しているのであれば、ノーベル賞受賞者は全員東大かせめて京大の出身でなければ説明がつきません。

 

完全なる学歴主義が破綻しているのは、この事実が証明しています。

 

所詮受験学力が表しているのは暗記能力や処理能力であり、研究能力や独創性とはちょっと別なんでしょう。

 

しかし、そうはいっても、受験学力と研究能力や独創性に全く相関関係がないわけでもありません。

 

現実に、日大や東洋大学の理系からノーベル賞受賞者など1人も出ていませし、今後も絶対出ることがないと断言できます。

 

つまり、やはり受験学力は「一定のライン」までは非常に信頼できる指標なのです。

 

名古屋大学や山梨大学といった国立大学に入れる位のスペックがないとやはり研究者としてきついようです。

 

結局まとめとして言いたいのは、受験学力と教養や知的レベルの関係は「対数」ですから、ある所までは非常に信頼できますがあるところから先は個人差の方が大きいのであまり細かい偏差値の差は関係ないという、そういった関係になっているのです。

 

完全なる学歴主義者も完全なるアンチ学歴主義者も間違っているのです。