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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

所詮みんなどこかで妥協して生きている

こないだ口の悪い医者が、「歯医者なんて医者になれなかった人間だろう」とバカにしていました。

 

よく「○○は××になれなかったから」という表現を使う人がいますが、少なくてもそういった社会的な序列に関して言えば、皆さん少なからず妥協しながら生きてると思います。

 

たしかに歯医者や薬剤師は医者になれなかった人でしょう。

 

しかし、ではそのお医者さんも自分の一番行きたかった医学部に行って、一番好きな科を選んで、100%望むような医者ライフを歩んでいるのか?

 

そんな事は絶対にありません。

 

「歯医者は医者になれなかった人間」ですが、そういったことを言い始めると、ほとんどの人間は小学生や中学生の頃の「将来の夢」のような職業にはつけなかった人間です。

 

私は本当はサッカー選手やお笑い芸人や俳優になりたかった。

 

それでもその夢が叶わないから、仕方なく大学に進学したり会社経営をしてるわけです。

 

そういった意味で私の人生も所詮「妥協の人生」です。

 

広告代理店マンや商社マンでも「小学生の頃からなりたかった」人がどれだけいるでしょうか?

 

あくまで俳優やスポーツ選手、歌手といった本当になりたい仕事につけないから、現実的なオプションとして最上位なものとしてそれらを選んだのではないでしょうか?

 

しかも、その比較的現実的なオプションの中でも、「三菱商事に行けないから丸紅にいく」とか、「理系の研究者として通用しないからゴールドマン・サックスにいく」とか「司法試験に受かったものの、四大事務所からオファーがないからマチベンをやる」とか「財務省に行けないから厚生労働省に行った」とか広い意味では華やかの職業についてるような人ですらどこかで必ず妥協をしています。

 

こういった意味で妥協してないと言えるのは山口真由さんや岩瀬大輔さんくらいでしょうか。

 

また、大学にしても、日本や韓国のように完全に縦に並んでいるカーストですと、ほとんどの人間は広い意味では妥協をして進学先を決めています。


結局本当の意味で妥協しないで進学先を決めている人間など0.3%程度でしょう。

 

仕事にしても進学先にしても、結局われわれはあくまで「可能な範囲」から「自分の第一志望」を設定して満足した気になっているだけです。

 

社会的なカーストという視点から見ると、ほとんどの人間は妥協の人生を歩んでいますし、別に私はそれが悪いことだと思いません。

 

社会には定員があるからです。

 

ちょっと下の人間を見下すために「お前は所詮○○になれなかったんだろう」とバカにして悦にいるくだらなさについては自覚するべきでしょう。

 

私もあなたも何かしら妥協をして人生を生きているわけですから。