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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

理解にはレベルがある

「理解」という言葉があります。

 
何か物事がわかった時に使う表現です。
 
簡単なようでこの言葉はなかなか難しい。
 
私は昔から普通の人が理解できることが理解できないことが多々ありました。
 
ひょっとしたら自分は頭が悪いのではないかとずっと思っていました。
 
しかし、その「わかっている人」と話してみてわかった事は、「物事を理解する基準」が私とそういった人でちょっと違うのです。
 
生まれ持った性格か他に原因があるのかわかりませんが、私は物事をものすごく厳密に理解したいという欲求が非常に強い。
 
ですから、正直小中高の勉強なんてまるで面白くありませんでした。
 
なぜならば、数学にしても歴史にしても、中学や高校の勉強は「どこかでごまかしたような説明」でしかないからです。
 
よく、「AだからB」という関係を因果関係と呼びますが、高校までの勉強でこういった因果関や定義を厳密に理解しようとしても頭がいい人ほどよくわからなくなるはずです。
 
それぐらい本来物事を理解しようとするのは難しいことなのです。
 
もし何か対象について理解できないとしたら、もちろん自分の頭が悪い可能性もありますが、そもそも理解できるような説明になってない説明である可能性が非常に高いです。
 
物事を理解するというのは実はものすごく難しいことだと私は思っています。
 
世の中の人間が何かを理解したと思っていることの大半は、「浅く理解した気になっているだけ」です。
 
生意気ですけど私はそのように思っています。