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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

デフォルトが低い場所にいると自己評価が甘くなる

人間は自分には甘い生き物です。

 

そういった意味で自己評価は難しい。

 

しかし、「他者評価」も気をつけないといけません。

 

周りのレベルが低いと、その他者評価もアテになりませんから。

 

例えば、「TOEIC700点」は漠然といいスコアでしょうか悪いスコアでしょうか?

 

これに対する回答で、「あなたが属しているコミュニティとデフォルト」がわかります。

 

昔のバイトからの経験ですが、例えば大学生でも、下位大学の学生はTOEIC700点でもドヤ顔で「僕、英語できます」と言いますが、国立医学部生、東大生、京大生なら700点なんて恥ずかしくてまず履歴書には書かないスコアでしょう。

 

就職活動中の早稲田や慶応の学生なら、「英語は苦手でもないですけどそこまでできませんね。TOEIC700点程度ですから普通です」となるわけです。

 

客観的には「同じスコア」でも、自分が属するコミュニティーによって「他者評価」やそこから派生する「自己評価」はかなり変わります。

 

自分のコミュニティのデフォルトが低いと、全然たいしたことないのに自分はそれなりだと勘違いしてしまいますから、「一流」と言われる組織に身を置く意味というのは、「デフォルトの底上げ」なのです。

 

「年収1000万円」がすごいのかどうかも結局のところ周りのデフォルトで決まります。

 

年収1000万円程度で喜んでるようでは、あなたの属しているコミュニティーのデフォルトが低いということです。

 

一流企業、一流大学、名門高校に所属していることのメリットは、何もそういったとこに居るから他人に賞賛されて気分が良いという点にあるわけではありません。

 

「知的なデフォルト」が二流と呼ばれているところにいる人と段違いなのです。

 

一流企業や名門校の意義はその「高級サロン」性にあります。

 

こないだ「僕かなり面白いこと言ってると思うんで、僕の書いたブログ読んでください」と自信満々に言ってくる人がいたので、5行ぐらい読んでみましたが、一瞬で読むのをやめました。

 

理由は単純で、文章力や論理性に非常に問題を感じたからです。

 

私の友人にも見せましたけど、「なんか文章が流れてないんだよね」と言っていました。

 

私も全く同じことを思ったのです。

 

その人は、簡単な言葉を使えば読者は簡単に読めると思っているんですけど、感覚的に「文章が流れていない」という致命的な欠点について理解していませんでした。

 

なんで彼は勘違いをしてしまうのか?

 

それは彼がレベルの低いコミュニティにいるからです。

 

デフォルトのレベルが低いコミュニティーにいるから、そんな下手な文章を自信満々で人に勧めてくるのです。

 

彼は「肩書とか関係なく、文章だけで判断してください」と自信満々に言っていましたが、やはり先入観なしに見てどうも文章がおかしいわけですから、やはり所属しているコミュニティーに問題があると言わざるをえません。

 

私の経験から言っても、たいしたことない人間ほど自信満々で、そこそこすごい人間ほど謙虚ですが、それは周りのデフォルトのレベルが自己評価にかなり大きな影響を与えているからです。

 

やはり人生の成功を決めるのは、自分の周りのコミュニティのレベルと言えるでしょう。

 

「朱に交われば赤くなる」はプラスの意味でもマイナスの意味でも真理です。