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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

人はなぜ写真を撮るか

私のブログをご購読の皆様ならお気づきのように、私のブログにはほとんど写真が出てきません。

 

というか、そもそも私は日常生活で写真というものをほとんど撮りません。

 

しかし、飲食店で食事をしていると、ここかしこで皆さん写真を撮っています。

 

私はやっていませんが、今時流行っているInstagramというやつに載せるためでしょうか?

 

私はあまり写真をとらないと言いましたが、これはちょっとしたポリシーでもあります。

 

人間には五感があり、その瞬間その瞬間毎に五感で何かを感じ取れれば十分なのではないかと私は思っています。

 

旅行中やコンサートなどで、殺人事件現場で現場捜索をして県警本部の方のようにwパシャパシャと大量に写真を撮りまくっている人がいますが、これこそ「本末転倒」です。

 

写真を撮ることが目的で、そのための旅行やコンサートになってしまっています。

 

写真ではありませんが、セミナーなどに行って講義を録音して満足してしまっている受講生も似たようなものです。

 

繰り返しますが、人間には五感があり、本当に大切な事は脳が覚えています。

 

もちろん子供の運動会、入学式といったイベントで写真を撮りたい気持ちは分かります。

 

しかしそういった場合でも、私は基本的にせいぜい写真は1枚とればいいと思っています。

 

なぜならば、写真は記憶の喚起のための媒体として機能すれば十分だからです。

 

入学式や運動会、旅行中の写真を数枚見れば、芋づる式にその時の記憶はよみがえってきますし、それでも記憶が喚起されないのであれば、それはそのイベントがあなたにとって「その程度のもの」だということの証左です。

 

だいたい、今はiPhoneなどで簡単に写真が撮れますから皆さんパシャパシャ写真を撮りますけど、10年後にどれだけ見返すことがあるのでしょうか?

 

私には疑問で仕方がありません。

 

10年前に食べたパンケーキに10年後の私がそこまで関心があると思えません。笑

 

読書に関しても似たようなことが言えて、よく本を読むのに丁寧に線をひいたりノートをつけたりしてる人がいますが、本当に興味を持って感動したことは脳が必ず覚えていますし、記憶に残っていないという事は「その程度」ということです。

 

なぜ人は無駄に写真を撮りたがるのか、と言えば、結局人は「今」だけに集中できない生き物だからです。

 

よく「今を生きろよ!」などと言いますが、本当に「今」を生きるのは難しいものです。

 

「今」という時間はまさにこの瞬間にも消え去ってしまう頼りないものだからです。

 

この「頼りない瞬間」を消さないために・・

 

自分の頼りない記憶を補完するために・・

 

人は写真を撮りたくなるのでしょう。

 

無駄に写真を撮りたくなるという心理は、人間という頼りない存在の反射的な作用なのでしょうね。