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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

結婚と結婚したい港区女子

東京の若い女の子と話していると、

 

この子は誰か好きな人と結婚したいというより「結婚と結婚したい」のではないか?

 

と感じることがよくあります。

 

よく「来年中には結婚したい」といった「目標」を掲げる港区女子がいますが、好きな相手もいないの

に「来年中に結婚したい」というのはなかなか不思議です。

 

もはや結婚が目的化してしまっているのです。

 

本来好きな人と一緒にいたいからするのが結婚のはずですが、「本末転倒」なことに結婚自体がゴールになってしまっています。

 

結婚に限らず、現在の東京人を見ていると、「本来手段でしかないものが目的化している」例を数多く見かけます。

 

「幸せな人生のため」の仕事であり学校のはずですが、何故か多くの人にとってそれが目的になってしまっています。

 

お金ですら、本来は交換手段でしかないわけです。

 

お金を食べたり、お金を着たりすることなどはできません。

 

お金自体はただの「紙切れ」ですから。

 

それなのに多くの人にとってお金が目的化してしまいます。

 

私から言わせると、日常生活の全ては「それは『私にとっての幸せな人生』に寄与するか」という視点から吟味されるべきです。

 

幸福とは究極的に主観であり、「どう感じるか」でしかありません。

 

有名になってチヤホヤされる

 

高級官僚になる

 

ブランド大学に入る

 

タワーマンションに住む

 

ロレックスを買う

 

メルセデスを手に入れる

 

(主に女性ですが)スペックの高い男性と結婚する

 

こういった事は、まぁ一般的に「幸せなこと」とみなされやすいですけど、それも所詮感じ方です。

 

別に負け惜しみではなく、田舎暮らしの方がいいと言う人もいるでしょう。

 

結婚しないほうが人生楽しいと言う人もいるでしょう。

 

私のように車の免許なんてなくたっていいという人間からすると、メルセデスもポルシェもガラクタでしかありません。

 

哲学的なお話ですが、「意味」や「価値」というのは自然界に存在するものではなく、人間が与えるものであり感じるものです。

 

究極的には「その人にとって意味があれば意味はあるし、その人にとって意味がなければ意味はない」としか言いようがありません。

 

日本人は、「一般的な幸せ」を「自分の幸せ」と同一視する傾向が強いように思います。

 

とりわけ東京の中心ではその価値観が顕著ですが。

 

しかし、繰り返しますが、究極的には自分にとって意味があればどんな人生でもいいのです。(ただ、やはり人間そこまで聖人君子にはなれないので、ある程度人から評価されるということも大切だと思いますけど。これも「程度問題」ですね。)

 

港区女子は結婚こそが幸福だと思っていますが、これほど滑稽な考えもありません。

 

結婚して幸せになる人もいれば、不幸になる人もいます。

 

また、若くして結婚して子供を産むのが人生の勝ち組であるかのような幻想を持っている若い女性は多いですけど、結婚したら結婚したで、また新たな戦いやカーストは無限に生まれてきますし、結婚=人生のゴールかのような価値観は本当に滑稽です。

 

まぁ私いつも言ってますけど、人間なんてたかが100年位で死んでしまうわけですから、人から与えられた目標ではなく自分なりに満足がいくように生きたらいいと思いますけど。(ただ、人間は社会的な動物ですからもちろん他者の目を完全に意識しない事は理論上不可能なわけですが。これも程度問題ですね)

 

結婚と結婚したい港区女子の滑稽さを敷衍して、「手段が目的化する東京人」について論じてみました。