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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

自由についてのパラドックス

昨日たまたま読んでいた本なんですが

 

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これはなかなか示唆的な本です。

 

通常我々は、選択の自由が増すことを好ましいものだと思っています。

 

人類の歴史は自由を求めての闘争といっても過言ではありません。

 

フランス革命然り、アメリカ独立革命然り。

 

しかし、パラドキシカルなことに、われわれはあまりにも自由に何でも選択できると困ってしまうという面もあります。

 

もしマクドナルドでメニューが100コもあったら。

 

ファミレスのメニューが車のカタログのように無限にあったら。

 

結婚相手を100,000人の中から選べるとしたら。

 

一見自由なようで、実態としてはカオスそのものではないでしょうか。

 

人間は自由を求める一方で、あまりに自由すぎると困ってしまうというアンビバレントな側面があります。

 

かつて、結婚相手は親が決めるものでしたから選択の余地はありませんでした。

 

これは確かに前近代的で封建的と言えるかもしれませんが、比較の余地がなく、かつ期待値も限りなくゼロに近いため、そこまで不満もないものです。

 

現在、恋愛結婚が主流となっていますから、選択の自由は溢れるほどあるわけですが、それが故に情報の洪水に溺れている女性があまりにも多いような気がします。

 

様々な条件の良い男性が目に入ってきて、比較をすればするほど「決める」ことが難しくなります。

 

これが選択のパラドックスでしょう。

 

就職でも、家探しでも、様々な選択肢が見つかれば見つかるほど決めることが難しくなり、そしてその複数の選択肢の中から自分にとってベストな選択をする事は事実上不可能です。

 

東京の港区や渋谷区の女性が物質的に豊かな割に不幸なのは、世俗的な意味で言う「いい男」を見すぎてしまっているが故に、なかなかみんなに羨まれる最高のチョイスをすることができないからです。

 

地方などで選択の余地がなければ、「いい男」と言ってもたかが知れてるわけですが、東京のように桁違いに人口が多い都市になると、そもそもの分母が凄まじいですから、「いい男」も死ぬほどいっぱいいるわけです。

 

しかし、就職も恋愛も究極的には市場原理ですから、みんなが羨ましがるような男性と結婚できる女性は当然見た目や性格などの総合評価が凄まじく高い女性です。

 

当然そんな女性は女性の中のせいぜい0.1パーセント位なわけですが、東京にいるとそういった幸せな女性が目に入ってきてしまいます。

 

これが不幸の元凶なのです。

 

知らぬが仏、で田舎や地方にいれば目に入ってこないような情報まで入ってくるわけです。

 

そして情報の洪水に溺れ、ますます選択が難しくなる。

 

これが東京で不幸な人間の実情ではないかと思うのです。

 

選択の自由は人を幸せにしている面と不幸にしている面がある事は忘れてはいけないでしょうね。