読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

お金ができることできないこと

東京のど真ん中にいると、拝金主義というかお金を稼ぐことに圧倒的なプライオリティーを持っている人が多くいることに気づきます。

 

もちろん生活をする上である程度お金が必要であることは言うまでもありません。

 

しかし、私たちはお金に過剰な期待をしないためにも「お金ができること」と「お金ができないこと」を峻別する必要があります。

 

世の中のほとんどの人間は「人間」目線で世界を解釈しています。

 

松井孝典教授の分類に従うと、世界は自然界と人間界に分かれます。

 

あえて簡略化すれば、自然界が理系の世界、人間界が文系の世界と言えるでしょう。

 

日本のような先進国(まだ一応先進国と言えるでしょう)の、とりわけ都会にいると、われわれは自分たちのことを「太陽系の地球という惑星に生きているホモサピエンスという生物である」という当たり前のことを忘れてしまいます。

 

「人間界」という閉じられた空間で生きてることを普段は意識する必要がありません。

 

自分達では魚も取れなければ野菜も作れず、肉の屠殺もできないわけですが、貨幣という便利な道具のおかげで、自分たちの脆弱さに気づくことなく生活しています。

 

スマホもコンビニ弁当も何一つ自分では作れないわけですが、そのことに何の疑問も感じることなくわれわれは生きています。

 

エレベーターがなぜ動くのか、原発がどのように危険なのか、そういったことに疑問を抱かずとも普段の生活は何一つ困りません。

 

そういった人間界に生きていると、お金の力が絶大だと感じるようですが、愚かであると言うほかありません。

 

まず一つ言えるのは、我々が10兆円の金を持とうが1000兆円の金を持とうが、我々は自然法則には逆らえません。

 

ビルゲイツも50階の建物から飛び降りたら100%死にます。

 

麻生さんが1億円払っても東京からニューヨークに10分で行くことはできません。

 

あのジョブスも世界最高の治療おそらく受けていたでしょうが、自然界の寿命には勝てませんでした。

 

結局我々は自然法則には逆らうことができず、自然界においてお金というのは全くと言ってほど頼りないツールです。

 

お金が威力を発揮するのは人間界の内部です。

 

なぜならば、お金の究極の機能は、お金を対価に人にやりたくないことをやらせることができるという点にあるからです。

 

逆に言えば給料は我慢料です。

 

沖縄の離島で100億円持っていても全く意味がないのは、それを対価に他者を服従させようと思っても、できる事に限度があるからです。

 

地球最後の日に大自然の中でクレジットカードを持っていても、100億円持っていても何の意味もありません。

 

お金はあくまで人間界の内部で他者を服従させるための媒体だからです。

 

宇宙や生物といったマクロなレベルで考えてみると、自然界の中で人間ができることなど本当にたかが知れてるわけですが、人間界の内部の世界に埋没していると、お金があれば何でもできるかのような幻想にわれわれは取り憑かれます。

 

私は180kmの速球が投げたいですし、子供を産んでみたいですし、東京からニューヨークに5分で行きたいですし、300歳まで生きたいですし、タワーマンションの屋上からバンジージャンプのように飛び降りて生きていたいです。

 

こういった願望を私は持っています。

 

しかし、それらはいくらお金があっても成就する事は不可能です。

 

私の願望は全て自然法則に反しているからです。

 

人間とは不思議なもので、「180kmの球が投げられない」ことや「300歳まで生きられない」ことには不満を抱きませんし、「男性が子供を産めないこと」に不幸を感じませんが、「あと10万円あったら買えそうなものが手に入らないこと」には強い不満を抱くようです。

 

しかし、冷静に考えてみたら、そもそも我々は肉体を持った地球という惑星に生きるホモサピエンスという動物で、自然界で「できないこと」の方が「できること」よりも圧倒的に多いのです。

 

そのように考えると、ある程度以上のレベルになってしゃかりきに働いてお金で幸福を求めるというのはコスパが悪い滑稽な生き方と言わざるを得ません。

 

繰り返します。

 

自然界で人間ができること等、元から極めて限られているわけです。

 

それが人間界に埋没していると忘れ去られてしまっているだけです。

 

われわれは自分の小ささについて知らないといけません。