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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

ホリエモンの話

私は実はホリエモンの信者ですが、今日たまたまホリエモンの新著を読みました。

ホリエモンの主張をまとめると

・「すべての教育は洗脳である。今の学校教育というのは、工場労働者を作るための教育だ」

・「オール5を評価する教育は時代遅れだ」

といったところに集約されます。

まず1つ目の主張についてですが、私はこれに関して半分賛成で半分反対です。

私もホリエモンと一緒で日本の学校教育には馴染めなかった人間ですが、それでも日本の学校教育を100%否定することはできません。

なぜならば社会とは共同生活であり、何かしらの価値や規範を共有しないと社会は成立しないからです。

よく外国かぶれの人が、日本の教育の後進性を指摘しますが、サッカーでもビジネスでも日本人の規律・ディシプリンは非常に世界で高く評価されています。

もちろんこれではブレイクスルーは起きない、という見方もありますが、「程度問題」というほかありません。

社会のみんながホリエモンやイケハヤ(やひょっとしたら私)のような生き方をしたら、社会は回りません。

ホリエモンやイケハヤ、はあちゅうが「好きなことをして生きれば良い、会社に縛られるな」とよく言います。

これは、個人レベルでは当てはまりますけど、社会の構成員が全員同じ生き方をしたら社会は崩壊します。

経済学で言う「合成の誤謬」というやつです。

日本の学校教育が大切にしている自己犠牲の精神や「嫌なことや不条理に耐える能力」は過小評価されてはいけません。

世の中のほとんどの人間は自由に好き勝手生きられないわけですから。

次の論点ですが、「オール5は時代おくれ」というお話ですけれども、これもまた程度問題と言うほかないですね。

要は「とがっている人間を大切にしろ」というよくある主張ですね

しかし、一定以上知的な労働に従事する人間は、少なくても小中高の英数国理社ぐらいまんべんなくできる必要があると私は思っています。

ある程度すべての科目ができるからこそ「全体」が見えるからです。

日本のノーベル賞受賞者を見てください。

みなさんそれなりの一流大学を出ています。

日本のノーベル賞受賞者は22人いますが、一人も私立大学出身者はいません。

これはなぜなのか少し考えてみたほうがいいでしょう。

本来例えば生物学だけできればノーベル生理学賞とかは取れますから、理屈的には生物だけできて他の科目が一切できない二流大学の出身者がノーベル賞をとってもおかしくないはずですが、現実にそういうことが起きていないということは、ある程度すべての科目ができるからこそ一つの分野に特化できるという面もあるということの証左です。(背理法)

穴を深く掘るには広く掘らなくてはいけないのです。

「オール5➕1つの分野で尖っている」人間こそが優秀だと私は思っています。

ホリエモンの言ってることは、半分ぐらい理解できますが、ちょっと言い切りすぎという面もあるのは否定できません。