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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

社会的価値と人間としての価値

私はこのブログでもひたすらカーストとか婚活とか年収とかいやらしい話ばかりしてますが、私だけがそういったものに異常に固執しているというわけではなく、実は心の奥底では私と同じような思考回路の人間は一定数いるわけです。

しかしほとんどの人はそういった思考について「そんなことないかのように」振舞います。

では、なぜ私はこういったネタについて堂々と思っていることを言えるのか?

自画自賛してるようですが、それはおそらく社会的なカーストと人間的な価値を完全に分けて考えているからでしょう。

「俗世間で偉い人間が別に人間として偉いわけではない」、「金持ってるから人間として価値が高いわけじゃない」という考えを持ってるからこそ俗世間のカーストについてある種堂々と語れるのです。

あくまで社会的な価値と人間としての価値は別物ですから。(では、人間としての価値とはなんぞや?と言われそうですがそれについてはここでは省略します。普通の日本語の意味で考えてください)

内心差別をしている人間ほど、「差別してるのがバレちゃうから」こういったネタが嫌いなフリをします。

セックスが大好きな女の子が下ネタ嫌いなふりをするようなものです。(たとえになってないかw)

別に、宇宙や地球の歴史や規模から考えたら、そもそも俗世間のカーストなど鼻クソのような価値しかないわけで、カラスから見たら港区も足立区もないし、美人もブスもありません。

荘子の相対です。

そのような相対化をした上で「仙人の目線で東京を眺めてみたらどのように見えるかね?」と私は観察してるわけです。

「相対化」がミソです。

人間とは面白いもので、自分が本当に心から差別していたりこだわっていることに関しては、論じることすらできないのです。

それは自分の深層心理がバレてしまうから。

私はある種「一周」してきてるわけですから、あまり引け目がなく
東京のいやらしいカーストについて論じることができると私は思ってますけど。

「だからなんや?」と言われたらそれまでの話ですけど。