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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

承認欲求について

この投稿でも「承認欲求」というワードは69回ぐらい使ってきましたが、私は自説として「人間のほぼ全ての行動は承認を求めている」と常々述べています。

これに関して私は日ごろから「欺瞞」を何度も指摘してきました。

「いや、別に人の目というより自分の目かな」
「別に港区にこだわってるわけじゃなくて、たまたま海が見えるから港区にしただけだよ」
「自分が納得すれば人の評価とか関係ないっすよ」
etc

様々な欺瞞と嘘を暴いてきましたが、そもそもなぜ人は「人の目なんて関係ないっすよ」みたいなことを言いたがるんでしょうか?

それはおそらく教育や社会の雰囲気として「人の目を気にしていることは低俗なことで、自分の信念に従っている事が高尚なことだ」という「刷り込み」があるからです。

冷静に先入観を抜きにしてゼロベースで考えてみたときに、「人の目を気にすること」が悪いという意味がよくわかりません。

「人の目を気にするのはよくない」という考えがそもそも壮大なドグマであり洗脳です。(この理由については以下の※に)

アリストテレスも言っているように人間は社会的な動物ですから、自己を定義するには他者の目が不可欠で、他者の目を抜きにした自己など存在しえません。

「人の目なんて関係ないっすよ」という趣旨の発言が途方もなく浅いのは、結局「人の目なんて関係ない」と達観してかっこつけてる自分がかっこよく、それによって他者からの承認を渇望しているという根源的な矛盾があるからです。

「人から認められるとか関係ないっすよ」と言うことによって実は人に認められたいという矛盾があるのです。

そもそも人間は社会的な動物であり、社会から切り離された「やりたいこと」も「自分の目」も存在しえないことに気づかないといけません。

みなさんも「人の目なんて関係ないっすよ」的な達観ぶる輩がいたら「そうやって発言してること自体が承認を求めているのではないの?」と論破してやって下さい。

ある程度頭が良い人間ならその論理矛盾に気づくはずですが、あまりに頭が悪い人間だと「いや、それとこれは違うよー」などと苦し紛れの言い訳を言いそうですが。。。笑

※結局「人の目を気にしないで自分の信念で生きるのがかっこいい」という刷り込みやドグマがあるからです。

そしてそういったドグマがなぜあるのかまで考えてみると、日本人が特に人の目を気にする人種だからです。(cf 世間、阿部謹也)

日本は階級社会ではないですから、それなりにみんなが中流だと思っているからこそ人の目を気にするんでしょう。

貴族と平民位差があれば、お互い気にする必要もないわけですから。

本来的に人の目を気にする人種だからこそそのアンチテーゼとして「人の目を気にしない方がかっこいい」という社会通念が生まれたのではないでしょうか。

みんな生物のレベルではセックスがしたいからこそ、「下ネタははしたない」という社会通念が生まれたように。

リバースサイコロジーですよね。(あまのじゃく)