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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

人文社会科学のセンスについて

最近ちょっと人と話していて噛み合わないなと思うことがあるのですが、理系センス・文系センスというか発想法の違いというのは確かに存在するような気がします。

Facebookで議論になる様な事というのは、あえて分類するのであれば人間や社会についての文系ネタです。

「よし、この数式みんなで解こうぜ」とは普通なりません。笑

そして文系の議論と理系の議論というのはかなり発想や思考法が違います。

全員が全員とは言いませんが、理系出身の人間には漠然と理系の方が上であるという意識を持っている人が散見されます。

たしかに高校年代までで言えば、平均的に圧倒的に理系の方が文系より能力が高いので、そう思ってしまうのも理解できなくはないのですが、少なくても社会問題についての議論や教育や人生のお話をする限りにおいて、「理系バカ」は非常に有害です。(理系の全員が全員「理系バカ」という事ではありません、念のため)

理系の人間の悪い傾向として、物事をシンプルにしすぎるというところがあります。

まぁ物理学や数学のような理系の学問というのは究極的には法則化・抽象化が目的ですから、そのような発想になってしまうのは当たり前なのですが、そのための単純化により逆に物事の本質が見えなくなる可能性があるのは否定できません。

経済学や法学のような文系の学問の特徴は、一言で言えばアンビバレンスとバランスです。

社会問題というのは、たいがいのケースで「トレードオフ」の関係になっていますから、理系の学問のようにシンプルに考えすぎると逆に問題なのです。

理系の学問は難しいけど簡単なのです。

そして人間や社会について考える文系の学問は、簡単ですが難しいのです。

おそらく文系の学問はIQ的な意味で言ったらたいして頭はいらないと思いますが、理系とは全く別の頭がいるような気がします。

それは人間に対する深い洞察やバランス感覚、全体を見る力といった、少なくても日本の小中高の学習では全く求められない能力です。

よく人間や社会についての議論をしてる時に「論理的」という言葉を使うアホがいますが、理系バカに限らず文系人間もやたらと論理的という言葉を使いたがります。

しかし、数理経済学などの例外はありますが、基本的に法学も政治学も社会学も人間や社会を対象としているわけで、「論理」というレベルではなく「説得的」、「妥当」という域でしかありません。

私はやたらと論理という言葉を使う人間がすごく嫌いですが、人間や社会について考えるときに論理なんてどこまで妥当するんだろう、と考えてしまいます。

そもそも文系と理系で発想が違うわけですから、何でもかんでも論理的に考えればいいということではありません。

言葉を使った説得なんて所詮数式の証明のようにきれいではないわけですから限界はあります。

文系センスと理系センスについて。