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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

達観ぶる人

私はよく「・・と言いつつ私も気になってしまうわけですが」といった言い回しをしますが、これは要するにアンビバレントな感情を持ってるということです。

アンビバレントというのは、どっちつかずの感情ということです。

子供には成長してほしい、でもあんまり自分の手助けがいらなくなるほど育ってしまったらちょっと寂しいな、とか。

人間の感情はなかなかアンビバレントなのです。

ですから私がたまにむかつくのは、「達観ぶった人」です。

私は人単位ではなく意見単位でものを考えているので、人と意見は分離して考えるタイプですが、私が尊敬するXさんという方はちょっと「達観ぶる」傾向があるんですよね。

「いや、別に私港区にこだわって港区に引っ越したわけじゃなくて。条件的にたまたま港区にしただけです」
(→ウソつけー。笑 「念願の念願の港区」と言って下さい。)

「私自分の仕事なんて聞かれるまで絶対に自分から言いませんから」
(→いやいや「聞いてくれ、なんとしても聞いてくれ。そして俺の仕事について尊敬してくれ」と心から願っているからこそのこの発言です。本当にそこにこだわっていなかったらこんなこと言いません。)

「社会で成功した人は学歴の話なんてしませんよ。学歴の話が好きな人は自分に自信がないんですよ」
(→あれ、Xさん明治大学だってFBに書いてないですよね? 自分が1番気にしてるんじゃないですか。)

とちょっと「達観ぶる」わけです。

ただこういった発言の深層心理を考えればわかるように、この方は実はものすごく人の目線を気にしてるわけです。

異常なまでに「人の目線」を気にしています。

本当は気にしているからそういったトピックが口から出てくるわけで、本当に気にしてない人はそういった話題にすら興味がありません。

だったらそういう自分を認めればいいんですよ。

「気になってしまう自分とあんまり気にしたくない自分」。

人間の感情はアンビバレントでいいのです。

ちなみに「達観ぶる」のではなくほんとにちょっと達観してると思われるFBFもいらっしゃいますが、そういった方は本当に一切
俗的なトピックすら出しません。

これが人間心理というものです。

人間の心とは直線的ではないのです。