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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

わかりやすいものを求める浅はかさを自覚した上でカースト話をしなさい

半分昨日の続きですが、私を含め人間とは浅はかなもので、極めて表面的な情報で他人を判断します。

「鈴木さんは三菱何とか勤務」
「佐藤さんの所は年収1000万円」
「山本さんの所は長男が慶応で次男が早稲田」
etc

「鈴木さんのご長男は本当に優しくていつも老人ホームで歌を歌ってくれるんですよ」といった定量的じゃない話に関しては、判断がしにくいし女親も自慢ができないので、皆さんあまり興味がないのです。

浅はかなことです。

まぁ私も社会的な研究の一環としてこのようなやらしい話をしてるわけですが、感覚としては「他人の(特に初対面の)定量化できない面に関してはわからないなぁ。だから申し訳ないけど仕方なく定量的な(わかりやすい)面で判断させてもらいますね」という思考回路なわけで、「1周して戻ってきてる」わけですが、ほとんどの人は「1周していない」=相対化できていないわけです。

年収や学歴、社会的地位が高いと、それだけで「人間として優れている」かのような評価をされるわけです。

いい意味で拡大解釈をされるわけです。

まあ私も無意識のレベルでは「鈴木さんは国会議員か、すごいなぁ」、「山本はハーバードか、すごいなぁ」みたいな感覚を持ってしまうこともなくはないので、別に上から批判してる訳ではないのですが、冷静に考えてみるとやはり「要素の場合分け」が必要な気がします。

社会的な諸価値について冷静に場合分けをすることが正しい思考への一歩のような気がします。

別に年収やステータスの話とかしたっていいんですよ。

ただ、「人間の価値や能力は極めて多面的であるけど、その一部を切り取って話をしてるだけ。別にそれらは本来的には人間の能力の一部にしか過ぎないが、現代社会がその能力をたまたま評価してるから過大評価されてるだけ。しかもそれも所詮遺伝だし。」という相対化をした上でそういったトークをしないと「俗物まみれのピエロ」ですね。