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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

最終的な上位概念は承認欲求という話

昨日年収か社会的地位かという、なんともいやらしい話をしましたが、実は年収も社会的地位も別に「人生の目的」ではなくて、さらなる上位概念は承認であり幸福であると私は思っています。

私は経営者なので、割と様々なタイプの友人がいますが、やはりポルシェなりタワマンなり、物質的な承認を求める人間は圧倒的に「学のない成り上がり社長」が多いです。

その理由を分析していくと明らかで、やはりラーメン屋の経営者でどれだけ儲かっていてもやはり人は尊敬してくれません。

承認してくれません。

「職業に貴賎なし」なんていうのは嘘で、職業に貴賎があるからこそ職業に貴賎なしとみんな言うわけです。

誤解を恐れず言えば、ラーメン屋はラーメン屋です。

これが社会的な評価というものです。

もちろん私もそれなりの相対化はしています。

現代社会で価値があるというのは普遍的な価値でも何でもないことぐらいは分かっています。

頭が良いことが評価されるのも歴史的な「たまたま」なわけですが、まぁそうは言っても我々は原始時代に生きてるわけではないので、現在の価値尺度にある程度従う必要があるわけです。

中卒でラーメン屋やキャバクラで儲けたところでだれも承認してくれないからこそ、ロレックスなりポルシェなり「モノでの承認」に走るわけです。

ブログや本を書いて「鋭い意見ですね」などと承認されることなど絶対にないわけですから、モノや自分のアクセサリーでアイデンティティーを確立するしかないのです。

やはりこういった人間を見るにつけて、人間の最終的な目的はお金ではなくて承認だと気づきます。

逆に財務官僚なり国会議員なり、有名大学の教授なり、典型的な「えらい人」はあまり物質的な承認に興味がないタイプが多いですが、結局こういった人は「すごいですね、先生」と圧倒的な承認を得ていますからね。

私も露骨なコンプレックスはないですけど、やはり最高裁の判事とか有名大教授とかにはどこかで「自分よりすごい人間」だと思ってしまいますからね。

私の方が10倍お金を持っていても、だから私の方が上ということにはならないのです。(ただ、私の場合は本も書いているし、英語も話せるし、というところでそれなりの尊厳は維持できますけど。これが完全に『学のない成金』なら全く自尊心は違うものになっていたでしょう。)

別に承認欲求が満たされていれば、最低限お金があればそこまでモノでマウンティングをしたいと思いませんし。

最終的に我々は人から認められるために生きています。

マズローは半分当たっています。

本当にお金で困っている人はまず生活をするのに必死ですが、そのステージを通過すると、どうしても欲しいのが「名誉」であり「承認」です。

上位概念をたどっていくと、お金<承認<幸福ですね、正確には。

一人で映画見てオナニーして幸福感が得られるならそれはそれで素晴らしいことですから。

ただ普通はそれだけではなく他者から認められたいという欲望を満たして幸福になりたいのが人間なのです。