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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

あらゆる主張は批判

私の投稿をうがった目線で見る人は「加藤は人の批判ばかりしている」、「加藤は人を馬鹿にしている」などと言うと思います。

しかし、こういうことを言う人はおよそ「意味のある主張」というものがわかっていないと思います。(と、結局批判。笑)

そもそも何か意味のあることを発言するという事は、「普通の人が普通に考えている普通のことを普通に言う」のではなく、何かしら普通の人が考えていないような視点や物の見方を提供するということなのです。

以下のような言説は決して批判される事はないでしょうが全く無意味な言説です。

「人にとって優しさほど大切なものはありません。家族やお年寄り、子供などに優しい人間ほどすぐれている人間はいません。みなさん、人に対して思いやりを持ちましょう。あなたの優しさで社会が変わるのです。」

「人間は空気を吸って生きています。空気がなければ人間は死んでしまいます。空気は酸素と窒素と少量の二酸化炭素ができており・・。われわれは空気の大切さを認識しないといけません」

小学校の道徳や理科の授業のようなお話ですが、これに対して真正面から批判することは不可能でしょう。

しかし、ではこの言説に意味があるのか?

限りなく発言して意味のない言説です。

誰も批判することはできませんが、誰にとっても全く意味のない言説です。

結局のところ、意味のある言説は、必ず「たしかにほとんどの人はこう考えるだろう。しかし、それは間違っている。なぜならば〜」という構造を持っており、絶対に「批判抜き」の鋭い言説など存在しないと断言できます。

およそ言説の面白さとは、世間の平均的な社会通念との乖離にあるわけですから、ホリエモンが典型ですが、やはりちょっと面白い言説というのはちょっと毒があるわけです。(プラスであれマイナスであれ、社会通念からの絶対値の距離=面白さ、ですよね。もちろんそれだけじゃないですが)

「およそ意味ある言説はすべて批判の形式をとっている」。

私はこのように考えています。