読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

文明の進歩とホモサピエンスについて

ちょっと真面目で暗い話ですが。

環境問題や原発問題などについて考えるにつけ、もうそろそろホモサピエンス史も終わりに近づいているのかな、と暗いことを考えたりします。

恐竜も絶滅したわけですし、キリスト教徒の方に怒られるかもしれませんが、我々は本来的に生物として何一つ他の生物より優位な立場にいるわけではなく、「たまたま」圧倒的な大脳の性能を生かして地球を牛耳ってる「気」になっているだけです。

25世紀なんて本当に存在しているか非常に疑問です。

環境問題も原発などのエネルギー問題も、根源的な問題は明らかで、我々のとどまるところを知らないエゴと欲望が全ての元凶です。

われわれは言語を持つことにより、「自分」と「他者」の区別がきわめて明確になりました。

ルソーが言っているように、「俺のもの」、「お前のもの」という区別がそもそもの諸悪の根源です。

その欲望はとどまることを知らず、地球上を席巻しています。

帝国主義の時代も現在も形が変わっているだけで、強い人間の欲望を満たすために地球が回っているという歪んでいる姿は、残念ながら何一つ変わっていません。

しかし、身もフタもない言い方をすれば、これも侵略している人間や強い人間が個人レベルで悪いというより、それがホモサピエンスの宿命ということです。

社会的な動物として共生をベースに生きながら、結局利己心を最優先にしてしまうほかないのが我々です。

欲望はとどまるところを知りませんが、ホモサピエンスがむなしいのは、われわれはこれだけ文明を発達させましたが、平安時代やローマ帝国の時代と根本の幸福度は何一つ変わっていないという点です。

パソコンもスマホも石油を使った製品も、われわれは慣れてしまった以上それらを使っていて特に幸福を感じる事はありません。

新幹線も飛行機もデフォルトであり、出張中の飛行機で「ライト兄弟ありがとう、君たちのおかげで空が飛べるよ」と感謝の気持ちでいっぱいの人がどれだけいるか。

どれだけ文明が発達しても、すべてはデフォルト化され、我々の幸福度は永遠に一定のままです。

秀吉の時代の鉄砲の感動も、10年前のスマホの感動も、結局感動なのはその瞬間だけで、物質的な幸福は持続することはありません。

どこまでいってもわれわれは物質的な幸福では原理的に幸福度が維持できないわけですが、それでも麻薬のように我々はどこまでも物質文明に固執します。

我々のマテリアリズムは宗教であり麻薬であり、もはや地球が悲鳴をあげているわけですが、もはや我々に古代文明に戻る選択肢はありません。

これが「知ることの不幸」です。

古代ギリシャのアリストテレスも小野小町もエレベーターも飛行機もパソコンも知りませんでしたが、われわれはその快適さを知ってしまった以上エレベータも車も車もない世界に戻ることはできません。

言語により「知ることの心地よさ」を覚えてしまった我々の宿命なのでしょうか。

とにかくわれわれはもはや地球の限界的な状況に来てるわけです。

しかし、私にはカウントダウンを待つほかないような気がして非常に悲観的です。

個人的には何の根本的な解決策もないような気がします。