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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

責任というお話

「責任」という言葉を冷静に分析してみると非常に面白い。

例えば台風や地震などにより交通機関が止まり特定の場所に移動できなかった場合、「行けなかった責任」はありません。(=「悪くない」)

しかし、全くノーマルなシチュエーションで学校に遅刻した場合、「行けなかった責任」は通常発生します。(=「悪い」となるわけです)

では、目覚まし時計が不可抗力により故障して遅刻した場合はどうなるのでしょうか?

工学的なレベルで壊れてる以上、台風と同じ位「仕方ない」はずですが、おそらくこの言い訳は通用しないでしょう。

不思議なものです。

人間の判断などを脳科学などの自然科学的な視点で分析していくと、もはや自由意思の存在すら怪しいわけですが、人間の「恣意」で「それはできたはずだろう」と判断されると「責任」が生じるわけです。

私が下ネタを話す判断を下しているのも所詮大脳の働きですから、結局それも自然界の因果律にそっているわけで、ある意味「不可抗力」です。

「私が自然の因果に逆らえず下ネタを話してしまう」のも「台風や地震のせいで移動できない」のも自然の因果律に従った結果だと思うのですが、どうやら前者は責任がなくて後者は責任があるみたいです。

しかし、遺伝や脳科学の研究が進んでいくであろう25世紀あたりの人間から見ると、21世紀の人間は「自由な判断」、「責任」といったフォークロアを信じていた「遅れていた人」と考えられるかもしれませんね。

「責任」なんて誰にもどこにもないのかもしれません。