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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

全員を幸せにできるか

それはそれは昔、私は小生意気にも「世界中の人間を幸せにしたい」と大志を抱いていましたが、どうやらそれは難しいという事に気づきました。

「ありがたし」という平安時代の言葉は「素晴らしい」という意味です。

「ありがたし」は「有り難い」、つまり「なかなか存在しない」というのが語源らしい。

なかなか存在しないからすばらしいのです。

その哲学の根本には「価値あるものは希少なもの」という考えがあります。

これは現代でも当てはまる話です。

われわれは空気がないと生きていけませんが、通常空気のありがたみを感じる事はまずありません。

それは空気がほぼ無限に存在しているからです。

逆にダイヤモンドや金に価値を感じるのは、圧倒的にそれらが希少だからです。

ポルシェやロレックス、六本木ヒルズに(一応)価値がある(ことになっている)のも、結局それらを手にいれられる人が圧倒的に少ないからです。

ママチャリに価値がなくてメルセデスやポルシェに価値があるとすれば、それは単純に希少だからでしょう。

ある程度以上文明が発達すると、価値は「有用性」よりも「希少性」に置かれるようになります。

冷静に考えてみたら、ダイヤモンドは食べることもできないし、燃料にしてもたかが知れてます。

有用性という意味では、ダイヤモンドが1キロあるより牛肉が1キロある方が圧倒的に役に立つでしょう。

そして何かが希少であればあるほど人はその希少さを求めて殺到し、ケインズの美人コンテストではないですが、さも何か「実態としての価値」があるかのように人は価値を勘違いし始めるのです。

「希少だから価値があるだけ」のはずが、「問答無用で価値がある」ように人の価値観に影響を与えます。

宇宙人からしてみたら、ダイヤモンドも金も鉄も「同じような物体」でしかありません。

元素記号で言えば「ただのAu」、「ただのC」、「ただのFe」です。

我々が衣食住を超えて求めているものは、結局希少なものです。

希少だからこそ、「他者との差異化」に役立つわけですから。

ユニクロのようにエルメスが手に入ったり、運転免許のように医師免許や弁護士免許が手に入ったら何の意味もないわけです。(差異化の役に立たない)

みんなが佐々木希や北川景子の顔なら、そういった顔である事は何の意味もないわけです。(差異化にならない)

つまり、「希少ゆえにみんなが手に入らないからこそ『自分だけ手に入れて幸せ』」という感覚をわれわれは味わっている以上、「みんな幸せ」な状態というのは永遠に訪れる事はないでしょう。

仮に技術が発達して地球上の70億人が飢え死にしなく、かつエネルギー的に問題がなかったとしても、我々が「希少な価値を求めて他者からの承認や差異化」を渇望している以上、「全員が満ち足りて幸せ」な状態は人間が人間である以上絶対にありませんね。

非常に暗い私の哲学です。笑