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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

荘子と生物

何度か言ったことがある話ですが、人生に落ち込んだ時に慰めになる発想が荘子の相対と生物的な発想です。

 
われわれは人間界で極めて小さな差を気にしています。
 
「あいつは部長なのに俺は課長」
「佐藤さんは34階なのに私は6階」
「鈴木は財務省なのに、俺は法務省」
「あいつは政治経済学部なのに俺は商学部」
 
私も小さい人間なのでついつい小さなことを気にしてしまいます。
 
しかし、不遜ですが私がおそらくその他大勢の小さい方とちょっと違うのは、「相対化の目」を持っている点です。
 
「相対化」とは広い視野でモノを見ることです。
 
私は困ったときには宇宙や生物という観点からものを考えています。
 
例えば身長が高いとか言ったところで、所詮キリンには勝てません。
 
逆にどれだけ身長が低いといっても猫や犬よりは高い。
 
ボルトが速いといっても、所詮ライオンやチーターには勝てません。
 
逆にどれだけ足が遅くても、ゾウより遅いということはありません。
 
脳の構造という観点からも、「地球で一番頭が良いホモサピエンス」と「地球で一番頭が悪いホモサピエンス」の差より「地球で一番頭が悪いホモサピエンス」と「一番知能レベルが高いチンパンジー」の差のほうがずっとずっと顕著です。
 
専門的な話は割愛しますが、脳の構造上我々ホモサピエンスだけが言語を持っていますが、チンパンジーや猫はどうやっても言語を持つ事はできません。
 
つまり、何が言いたいのかというと、人間内部の差というのは生物全体から見ると極めてトリビアルの差でしかなく、広い意味では我々ホモサピエンスはみんな一緒ですよ。
 
それは我々から見てどんな猫も所詮猫なのと一緒です。
 
身長190センチと身長160センチの差ですらたかが10%ちょっとの差です。
 
猫、ゴキブリ、ゾウ、キリンに混じって身長や体重の比較をしたら所詮「みんな五十歩百歩」です。
 
人間がデブだといってもたかが120kg程度。
 
馬やゾウは500kgをラクに超えますから。
 
知能レベルにしても、人間は皆言語が使えますが、これだって他の動物を基準にしたらとてつもないことです。(この辺は、チョムスキー、ピンカーあたりを読んでみたら面白いです)
 
世界には100万種を超える生物がありますが、言語を操れるのは唯一我々ホモサピエンスだけですから。
 
他の生物との比較をすればするほど、人間内部の差というのは極めて「どうでもいい」ことだと気づきます。
 
これに近いことを荘子も言っています。
 
「烏から見たら美人もブスもないよね」といった趣旨です。
 
まぁ、現実的に全く俗世間の価値を気にしないのは無理ですが、生物レベルでの相対化の目を持てば、ちょっとメタレベルで俯瞰するように俗世間のくだらなさに気づくでしょう。
 
そして最後に壮大なオチですが、ワタクシは先ほども写真付きで言いましたけど、俗世間の価値に翻弄され都内某所にセカンドハウスを借りることになりました。
 
いや、くだらないってわかってるからいいのです、ええ。
 
自分が俗的なピエロだという自覚を持っていますから。