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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

物やサービスの値段はどのように決まるか

最近何度か言っていますが、現代の日本社会では「頭が良い」事は過剰なまでに評価されています。

都会の小中学生の特に母親が無駄に教育熱心なのもそこに非常に興味があるからです。

そしてなぜそもそも頭が良い事が過剰に評価されているのかと言えば、それは有り体に言うとお金になるからです。

ここまではわりと「普通」の話です。

なんでこんなことをちょっと思ったのかと言うと、最近歯医者さんに行き、請求された額が非常に高かったからです。

「なんでこんなに高いんだろう?」と素朴に思ったわけです。

「専門家になるためには時間もお金もかかってるからね」という反論があるかもしれませんが、それならばそこそこ一流の美容師も芸術家も料理人も同じ位コストがかかってるわけですが、時間あたりの収入には相当な差があります。

結局、物の値段はある程度市場原理で決まっていますが、人がそれに見合っている価値があると判断するかどうかは「社会が何を評価しているか」によるのでしょう。

パスタが1,300円なら普通でしょうが、普通パスタに4000円は出しません。

しかし、歯医者さんで請求されたら20分の治療で15000円(保険なしで)はかかりますが、これは皆さん支払うわけです。

弁護士に相談したら30分5,000円かかりますが、これは皆さんを支払うわけですし、5000万円の取り立てに成功したら総コスト50時間で200万円くらいは弁護士に払うわけです。

これは結局、「頭の良い人間にはこれくらい払ってもいい」という価値判断なのではないでしょうか。

「いや、そもそも有資格者とか人数が違うから。希少価値があるんだから」という反論もわからないでもないですが、美容師や料理人で少なくても歯医者並みの努力をしているけれどもそこまで収入が高くない人は山ほどいると思いますよ。

ということは、本当の意味の「市場原理」の前におそらく我々は漠然と「この人にはこれぐらいの価値がある、だからお金を払う」という「相場」みたいなものがあるように感じます。

「頭がいい人は希少価値があるから当然価値がある」と思ってる人がいますが、希少価値と言えば別に一流の料理人も音楽家も希少価値があるわけです。

結局「どの希少価値を評価するのか」は社会の価値判断です。(ちなみに、私はチン毛のねじれ具合だけは1万人に1人位のレベルの希少さがあるわけですが、社会はこれを別に評価しないわけです)

そして現代社会は頭が良い人間に無駄に都合よくできてるわけです。

頭が良くてちょっとお金を稼いでる人間は「自分はたまたま得をしてる」という意識を持つべきでしょう。