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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

なぜ人は抽象思考が苦手か、と現代人の生きづらさについて

私をはじめある程度頭が回るホワイトカラーの人間は、論理的に考えられることや抽象的な思考を漠然と「高尚なこと」と思い上がっている節があるような気がします。

しかし、そもそも我々ホモサピエンスのマジョリティーが抽象的思考をせざるを得なくなったのは、せいぜいここ300年位のことです。

それよりもずっと長い間(3万年ほど)、われわれは具体的な世界で生きてきました。

田植えをして、獲物を取り、子供を作って、コミニケーションして死んでいく。

こういった具体的な世界がずっとホモサピエンスのデフォルトでした。

それがつい最近、急激に文明が進歩したことにより、大多数の人間に抽象的思考や論理的思考が求められるようになりましたが、生物の進化というのはものすごくスローなので、ほとんどの人間の脳は当然ついていけません。

大多数の人間が勉強が苦手で特に物理や数学のような理系科目が苦手なのは、ある意味当たり前です。

われわれの脳は、そこまで高度な抽象的概念を操るのに適していないからです。(むしろ一部の「変態」だけができる例外的なことだと思った方が良いでしょう)

学生時代に勉強ができなかった人はむしろ「そっちのほうが普通」だと開き直っていいと思います。笑

むしろ、獲物を取ったりそのためにコミュニケーションを取ったりといった、体育や国語的な能力の方が生物として発達しているわけです。

「人は生まれながらにして文系」ととある研究者が言っていましたが、むべなりです。

われわれは具体的世界にない抽象的概念を基本的にうまく操れないのです。(一部の変態以外)

自然界にバナナがあるように「微分」はありません。

りんごや鳥があるように「加速度」はありません。

あくまでもこういったタームは観念的なもので頭の中だけに存在してるものですから、われわれホモサピエンスがうまく操れないのは当然だと思った方が良いでしょう。

繰り返しますが、われわれは抽象的なものより具体的なものを扱う方が得意だからです。

我々都会人(じゃない人は当てはまりませんが)が頭にも体にも過度な負担がかかりストレスで精神的に参っているのも、結局のところ我々都会人の生き方が本来の生物としての自然のあり方から激しくずれていて、かつ脳や体の進化が適応できていないことが根本的な問題だと思われます。

現代文明を根本から覆す事は難しいでしょうが、まずなぜ我々が都会で生きにくさを感じているのかという、因果関係について考えてみました。