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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

不幸な港区女子の心理と人間の幸福について

何度か話している話ですが、東京には「他人のことが羨ましくて仕方ない」人があまりにも多いように思います。

こないだも言いましたが、「自分が持ってなくて他人が持っているもの」は羨ましいかもしれませんが、実際のところ「他人が持っていなくて自分が持っているもの」を大切にした方が圧倒的に人生は楽しくなると思います。

そんな事は頭でわかってるのかもしれませんが、それでも「隣の芝は青い」心理になってしまうのはなぜなんでしょう?

それはつまるところ「人間は幸福に慣れる生き物だから」だと私は仮説を立てています。

自分が持っているものというのは自分にとっては「デフォルト」です。

デフォルトである以上慣れてしまいます。

モザンビークやエチオピアの人間から見ると「蛇口からきれいな水が出ること」は幸福なことかもしれませんが、21世紀の日本に住んでいてそれに幸福感を感じる人間はまずいないでしょう。

「きれいな水」は我々にとってデフォルトだからです。

人間はどんな状態にも慣れてデフォルト化してしまいますから、どれだけ名声や富があっても「毎日幸せで仕方ない」などということは絶対にないのです。

ビルゲイツもあの加藤ハヤトも食べまくってる過食弁護士の田畑淳氏も毎日幸せで仕方ない、などという事はありません。

だから、「自分の持っているもの」より「他人が持っているもの」に価値を感じ、後者が喉から手が出るほど欲しいのでしょう。

創造主はなぜ我々をこのように設計したのかわかりませんが、われわれは「常には幸福になれないようにできている」としか私には思えません。

生物のレベルで考えると、常に危機感を持って生きる方が生存や生殖の確率が高まるからでしょうか?

たしかに幸福感や安心感は生物としてあまり持たない方が良い感情かもしれません。

幸福感が持続しないのは悲しいことですが、幸福感が持続しない(=飽くなき探求)からこそ文明が進歩したり、大航海時代の新大陸の発見やゴールドラッシュのような「欲」を満たすenterpriseが促されたのかもしれません。

100%満ち足りていたら、危険を犯して「新しい大陸へ行こう」とはなりませんからね。

このテーマについては私も考え中ですから、何か示唆的な意見があればご教示ください。