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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

哲学的センス

私は小学生位から根っからの変わり者で通っていたので、常に疎外感を感じていましたが、あらゆることの根本の根本、前提の前提が気になって仕方がありません。

「なんでこんなに優秀じゃない人が先生をやってるんだろう」
「どうして勉強しないといけないんだろう」
「なんで親の言うことを聞かないといけないんだろう」

こんなことをずっと考えていました。

過食弁護士の 田畑 淳 先生のようにごくまれに「私の疑問」を理解してくれる方もいらっしゃるんですが、ほとんどの方は、「私の疑問」自体を理解してくれませんでした。

あらゆる学問的探求は「問を意味のあるものと考える」からこそ成り立ちます。

原子より小さい単位に素粒子があって、素粒子の先はどうなっているんだろう?と気になる理系の研究者が日々研究して ひも理論やらなんやら難しいことをやってますが、私は正直全く興味がないので、私にとって「素粒子の先はどうなっているのか?」は「意味のない問」です。

あらゆる問は「問う意味がある」と考えている人間がいるから意味があります。

ですから、「私が気になる問」は私にとって「意味」はありますが、それは必ずしも他人にはあてはまりません。(「意味」とは主観が作り出す仮構ですから)

私が「この人は果たして哲学的センスがあるかどうか」を計る(と言うと上から目線のようですが、単純に趣味が合うかどうかの話です)リトマス紙となる問が以下のようなものです。

「世界があって自分が存在してるようだけど、自分が死んだ瞬間に世界は消えてしまうんじゃないか、とか思ったことない?」

「なんで人間は殺しちゃいけないのに、ゴキブリを殺してもいいのか、考えたことない?」

「脳内の物質が自然科学的に理解できるようになってくると、そもそも人間に自由意志はあるのだろうか、とか考えたりしない?」

「実は世界に存在しているのは自分だけで、自分以外の人間はすべてロボットかもしれない、と思ったことない?」

皆さんはこういった疑問を持ったことがおありでしょうか?

あらかじめ言っておきますが、別に哲学的なことを考えてるから偉いというわけではありません。

ただ単に「野球が好きか、麻雀が好きか」といったレベルの好みの話です。

こういった疑問を小学生位からついつい持ってしまっている人はおそらく私と気が合う人でしょう。

しかし、世の中にこんな人ばかりが増えたらそれはそれで問題なので、人口のうちの3%くらいの人がマスターベーションのように考えていれば別にいいのですけど。笑