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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

"This is a pen"は役に立たないか?

よく日本の中学校の英語教科書などを批判する際に「"this is a pan"なんて言わなくないか? もっと自然な英語にしたほうがいい」と言う人がいます。

たしかに、「これはペンです」と目の前の日本人に言われたら「頭大丈夫か?」と思います。

しかし、語学で大切なのは、文法や語法の型やパターンを叩き込むことで、その際に多少中身が不自然なのは仕方ない話です。

"This is a pen"を学ぶ目的は、文の意味というよりbe動詞を使ったSVCの構文を学ぶことにあるわけで、文の意味などはっきり言ってどうでもいいのです。

むしろ「自然」にするために、修飾語句をいっぱいつけてごちゃごちゃさせたり単語を難しくする方がかえって「論点」がずれてわかりにくいでしょう。

この話は実は「英語」という枠にとどまらず、「学校教育の意義」という話にすらつながってきます。

「学校の勉強なんて役に立たない」とはよく言われる話ですが、ディスイズアペンに限らず、学校教育の大きな目的は「基礎的な型」を身に付けることにあり、そもそもそれだけで何か社会の役に立つようなものではありません。

「基礎的な型」ですから、所詮。

しかし、基礎というのはその後応用的なことを学ぶのに非常に大切なまさに「礎」であり、建物であれば土台にあたるところです。

何でもそうですが、基礎的であればあるほど現実や実用という概念からは遠ざかるのは当たり前の話です。

よく「経済学の理論なんて現実に当てはまらない。学者は理論だけ言っている」などと浅い批判をする人がいますが、理論は基本ですから、必ずしも現実と一致していないのは当たり前です。

小学生に株の話を教えよう、などという話がありますが、論外です。

株の話は当然株の話以上の広がりがありません。

しかし、例えば資本主義の歴史や経済三主体といった話はより普遍性があり、話はどんどん広がります。

学校教育の目的は「あとで知識を広がるための基礎づくり」ですから、むしろ直接的にすぐに役に立つ必要などないのです。

すぐに役に立つものは実用的ですが全く普遍性はありません。

逆に、基礎的な学習はすぐに役に立つわけではありませんが普遍性があります。

ディスイズアペンが有用かダメなのか、という議論は、英語という枠組みを超えた奥行きのある議論に思えます。