読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

仕事の満足度と林修先生の嘆きについて

あの林修先生はことあるごとに「私は自分の仕事が嫌いです」とおっしゃっています。

先生ってそんなにつまらない仕事でもないと思うんですけど、林先生はやはり弁護士や官僚になっている同級生等と比べてるんでしょう。

「他の周りの皆は責任ある仕事をしているのに、僕は『ここがでるぞー』なんてくだらない仕事をしている」と氏は著書でおっしゃっていました。

しかし、私は何度か似たようなこと言ってますけど、仕事の満足感というのはかなり複合的で、よほど聖人君子ではない限り「社会的地位が高くてチヤホヤされて嬉しい」といった生々しい感情も否定できないと思うのです。

林先生の「仕事本体」が特段つまらなかったりやりがいがなかったりという事はないと思います。

ただ、フリーランスである身分や社会的地位といった面を「総合評価」して「つまらない」と言ってるだけでしょう。

では逆に、国家公務員の仕事や総合商社の「仕事本体」だけを取り出したときにそこまで楽しいのでしょうか?

本当に先入観を取り払って考えたときに、「石油の売り買い」とか「大量のペーパーワーク」がやる気のある高校生に勉強を教えて、少しばかり成長する過程に関与できる仕事より「圧倒的」に楽しいという事はないと思います。

あくまで社会的な何かや先入観があるから、「教師業つまらない」となってるだけでしょう。

自分が思ってるほど「仕事のやりがいや面白さ」など強固なものではありません。

かなり社会的な目線によって満足度は変わります。

典型がCAでしょう。

CAのお友達もいらっしゃるので、断じて馬鹿にしてるとかでは無いのですが、CAの「仕事本体」を考えたときに、カフェの店員やホステスとそこまで差があるでしょうか?

塾が山ほどできて、倍率は50倍を超えるCAとある程度誰でもできるカフェの店員に「仕事本体」の差なんてそこまでないでしょう。

それでも女子大生がCAになりたいのはまさにCAという身分に憧れているからです。

CAの満足度は社会的な価値に強く影響を受けていると思います。

ロースクールや司法試験といった進路に進む人間はみんな「法律を使って社会に貢献したい」と言います。

しかし、彼らは司法試験がダメだったら司法書士や行政書士等にはまずならず民間就職します。

あれ?

「法律を使って社会に貢献したい」んじゃなかったの?

それなら司法書士になればいいじゃん?

そうではないのです。

やはり裁判官や弁護士という身分に憧れていたから司法書士など絶対にプライドが許さないのです。

「医学部がダメなら歯学部ではなく理工学部に行きたい」とかも全く一緒ですね。

本当に医療で人に貢献したいなら歯医者や薬剤師になればいいわけでねぇ。

結局のところ、総合商社も弁護士も灘や東大などの延長線上です。

「選べる範囲で一番みんなに承認してもらえるもの」を選んでいるだけなのです。

ちなみに私はそういった価値観は全く悪くないと思っています。

人からチヤホヤされたい。

すごいすごいと認めて欲しい。

これは極めて自然です。

だったら堂々と言えばいい。

私がイラっとするのそこですよ。

「みんなからチヤホヤされたくて承認欲求を満たしたいから」と言いなさい、と。

私が周りの学生を見ていてちょっと気持ち悪いと思ったのは、「みんなからチヤホヤされたくて承認欲求を満たしたいから」と決して認めない点です。

逆に私がスカっとしたのは「金とステータスのためにゴールドマン・サックスを選んだ」という友人の一言です。

仕事とはちょっとズレますが、私が代官山のタワーマンションの30階いるのも「小金持ちの頂点」としてみんなにチヤホヤされたいからですよ。

それ以上の積極的な理由なんてあるはずがありません。

「いい女とやるために医者になった」と堂々と語る先生もいらっしゃいましたが正直で素晴らしい。

仕事の満足感などかなりの程度社会的な価値によって決まっており、「仕事本体」を先入観なしに抜きだしてみると、意外と生々しい真実が見えてきます。