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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

鶏口となれども、牛後となるなかれ、は常に当てはまるか?

「鶏口となれども、牛後となるなかれ」(上の組織のビリのほうにいるより下の組織のトップにいたほうがいい)という諺がありますが、この諺は「当てはまる場合」と「当てはまらない場合」がありますね。

例えば、小中高生の学校、スポーツであれば、当てはまらない気がします。

人間はよくも悪くも「朱に交われば赤くなる」動物です。

やはりスポーツも「うまいやつとやるからうまくなる」のは間違いないですから。

「鶏口」より「牛後」でハイレベルな人間にもまれたほうが絶対にプラスです。

しかし、「鶏口となれども牛後となるなかれ」が当てはまるケースもあります。

例えば家とかですね。

港区内部で相対的にカーストが低いよりは、埼玉県内部で相対的にカーストが高い方が人生の満足感は高いでしょう。

おいしくないステーキを食べるぐらいなら、おいしいパスタを食べたほうがいいでしょう。

「大原則」を言えば、「鶏口となれども、牛後となるなかれ」は人生の満足度を高める上で真理です。

結局人間は「身近な他者」と比較するからです。

しかし、上に挙げたような会社、学校、スポーツのようなものに関しては、時として比較の対象が「全ての人間」になる場合があり、その場合はやはり上の組織にいてデフォルトを上げたほうが自分の中の基準が引き上げられるのでその方がプラスでしょう。

レベルが高い組織にいた方が周りの人間の意識が高いですから。

しかし、食べるものや住む家に関しては「意識」も何もないですからね。

例えば中高生などでスポーツや勉強などでまだ頑張る余地がある人間であれば、レベルが高い組織でデフォルトを引き上げたほうが最終的には自分のためです。

しかし、社会人になって仮に無理して港区に住んでも、それ以降極端に年収や生活水準を上げるような事は事実上不可能で、ただただ「港区の底辺」として相対的に惨めな思いをするだけならちょっと田舎にいた方が主観的な幸福度は高いです。

要は頑張りようがあるような領域であれば「牛後」にしがみつくべきで、もはや頑張りようがないような領域に関しては「鶏口」を目指した方が「井の中の蛙で幸せ」だということです。

あと最終的にはこれも自分の感覚ですね。

「総合商社でくすぶるか、専門商社のエースになるか」、「研究者としてくすぶるか、予備校講師のエースになるか」

このあたりは人によって解釈が分かれるでしょう。

「社会的な目線」なら当然前者でしょうけど、組織の内部の満足度なら後者の方が良いでしょうし。

まぁ、「牛口」になれたらそれが一番いいんですけど、それが無理なら次善の作としてどっちがマシかという話ですね。笑