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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

好きなことを仕事に?1

人生の問題の大半は仕事の問題です。

「仕事は稼ぐための手段なんだよ」
「いや、仕事が自己実現なんだ」
「やっぱり年収が高い仕事だろ」
「楽しいことを仕事にしたい」
etc

労働観は人それぞれですが、私がちょっと気に食わないのは「好きなことを仕事にするべきだ」という価値観を絶対善として他人に押し付けるイケダハヤトやはあちゅうのような人間です。

まず私が問いたいのは「好きなこと」の「好き」は「どのレベルの『好き』なのか?」という論点です。

熊谷真士さんも言っていましたが、「仕事が死ぬほど好きならなぜ週に2日も休むのか?」という疑問を私も感じます。

男性の社会人で「仕事が大好き」、「仕事が生きがい」と語る人間は非常に多いですが、そんなに仕事が好きなら週に2日も休む必要はありませんし、サザエさん症候群も存在し得ないでしょう。(体を休めるためなら、別に1日の終わりに数時間休めば十分でしょう。あと、たまに旅行に行くから数日間休むとかならわかりますけど)

私はプロスポーツ選手になりたいと思ってましたけど、たしかに毎日野球やサッカーができるなら本当に素晴らしいです。

それだったら本当に休みなんてありません。(体を休めるための最小限のもので良いでしょう)

しかし、サラリーマンや経営者とか「小学生の時から抱いていた夢に敗れて仕方がなく選んだ相対的にマシな仕事」に関しては、やはり「仕事としてはマシ」という領域はどうしても出ないと思います。

私はサッカー選手になって毎日サッカーをやれるのは本当に望むところですが、経営者として不動産の取引をしたり、法律家になって裁判所に行ったり、商社に勤務して石油の取引をすることを死ぬほど望んでいるか言えば、かなり疑問符がつきます。

あくまで「お金がもらえる仕事の中ではかなりマシな方」ですが、仮に私が100億円持っていたら、裁判実務や石油の取引に時間を使いたいとは思いません。

(「コンビニでレジ打ちをやるのであれば、商社で石油の取引をやるほうがマシ」という相対的な判断です。)

そういった意味でホワイトカラーの人間が語る「好きな仕事」の「好き」は所詮スポーツ選手や役者、歌手といった「仮に無限にお金があっても、お金をもらわなくてやりたい位好きなこと」ではなく、「お金がもらえる仕事の中ではかなりマシな方」というだけでしょう。

「仕事が好き」と語る人間は、自分でもその意味するところが厳密には分かっていないと思います。

「100億円持っていてもやりたいのか」、「お金をもらえる仕事の中ではマシな方なのか」

こういった場合分けは必要でしょうね。