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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

『東大の凄さ』がわかれば日本の教育が見えてくる

テレビ番組などでも圧倒的なブランド力誇る日本のトップ大学である東京大学ですが、日本国民のほとんどは「なぜ東大がすごいのか」についてほとんど理解してないと思います。

 
例えば「東大よりハーバードが上」などと簡単に言う人がいますが、何もわかっていません。
 
そもそも論ですが、何かをすごいと判断するためには「基準」が必要です。
 
日本人は画一的な点数教育に毒されているので、簡単に「あっちよりこっちが上」と評価したがりますが、そもそも東大とハーバードでは「凄さの基準」が違います。
 
東大の凄さとはどこにあるのか?
 
ここで大前提ですが、「研究機関としての国立大学法人東京大学」の話と「東大の学部学生」の話は場合分けをする必要があるでしょう。
 
ここで私が主に話したいのは「東大の学部学生および東大卒の能力」の話です。
 
東大生がどの点においていかに優れているか?
 
そして、実はどの点においてはそこまで大した事はないのか?
 
東大生は誰も解けないようなとんでもない難問が解けるのでしょうか?
 
少なくても東大生の凄さというのはそこではありません。
 
東大の入試問題はたしかに一般的にかなり難しいと言っていいでしょうが、各科目を個別に見ていくとめちゃくちゃ難しいわけではありません。
 
慶應や上智の英語が得意な学生なら東大の英語で合格点を取ることはそこまで難しくありません。
 
東工大の数学や理科だけはめちゃくちゃ得意な学生が、東大の理科や数学で合格点を取ることはそこまで難しくありません。
 
つまり「誰もが解けないような難問が東大生だけは解ける」わけではないのです。
 
東大生の凄さというのはひとえに「総合力」。
 
「英語だけなら」、「理科と数学だけなら」早稲田・慶応の学生でも別に東大の問題は解けるわけです。
 
しかし、例えば文系なら英語数学国語化学生物世界史日本史、すべての科目についてまんべんなく合格レベルに到達できるのは東大生だけなのです。
 
ですから、世間の人が驚嘆するほど東大生が万能な意味で頭がいいというわけではなく、東大生の凄さというのは
・圧倒的な勉強量をこなす能力(記憶力、処理能力)
・タイムマネージメント能力
・自分を律する力
・論理的に考え表現する力
・少しばかりの発想力(主に数学)
・全科目まんべんなくこなすバランス
 
こんなところでしょう。
 
おそらく世界的に見ても、こういった能力では東大生はトップレベルではないでしょうか?
 
しかし、東大生も万能なわけではなく、能力的な限界もあり、基本的にすべてが「官僚的」です。
 
つまり、官僚的に「前例に従う」、「大量の情報を処理する」能力は非常に長けていますが、新しいものを生み出す力や想像力についてはそこまでではないかもしれません。
 
「前例に従う」というのは試験勉強で言えば「過去問」に従うということです。
 
そもそも試験勉強というのは、大学での研究等とは一切異なり「所詮答えがある世界」です。
 
東大の入試と言えど、所詮「解答の方向性」は既に決まっている問題ですから、「原発問題をどう解決するか」、「AIによって今後社会はどう変化するか」といった「まだ地球上の誰も答えがわからない問題」とは全然レベルが違います。
 
この投稿ではシンボリックに東京大学について論じましたが、おおざっぱに言えば国立医学部も京大も基本的には近い特徴を持っています。
 
シンボリックに東大生の特徴について見てきましたが、「東大生の凄さや特徴」というのは、別に東大生に固有のものというより日本の一流大学の学生の平均的な「強み」と「弱み」です。
 
これらの能力が21世紀にどれだけ有用なのかを考えることは、日本の教育を考える上でも非常に示唆的だと私は思っています。