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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

衣食足りてこそ正しく考えることができる

「衣食足りて礼節を知る」という有名な言葉があります。

「人間は物質的に満ち足りてこそ礼儀などがしっかりしてくるものだ」という意味です。

この言説をさらに推し進めていくと「衣食足りてこそ正しく考えられる」と私は言えると思っています。

「恵まれた政治家や頭の良い人は、普通の人や困っている人間の気持ちがわからない」といった意見を聞きますが、私はこういったポピュリズム的な考えには非常に懐疑的です。

残念ながら、日々百円単位でお金のことを考えてるような人が「世の中や人生がわかっている」とは到底思えません。

また、異性からモテなかったり、お金がなかったり、何らかのコンプレックスがたくさんあるような人が「世の中や人生がわかっている」とも到底思えません。

大衆民主主義、ポピュリズムの帰結として「困っている人間、現場で格闘している人間こそが『わかっている』のであり、恵まれている人間や頭の良い人間は『机上の空論』でものを考えている」という根強い反知性的な思想は古今東西なくなる事はありません。

しかし、手厳しいことを言えば、様々な意味である程度恵まれている人間だからこそ深く考えられる、というのが実情です。

哲学が生まれた古代ギリシャでは奴隷制が常態でした。

ソクラテスもプラトンもアリストテレスも奴隷がいたからこそ、深く考えることができたのです。

学校の語源である「スコレー」がギリシャ語で「ひま」を表してるというのはあまりに有名です。

彼らが日々の生活に困窮し、現場で格闘していたら、思想や哲学は生まれなかったでしょう。

「現場で困っているからこそわかっている」というのは完全にウソです。

例えば、「ネットカフェ難民の惨状」はネットカフェ難民が一番わかっているでしょう。

しかし、「なぜそもそもネットカフェ難民が生まれるのか」という社会背景や「どうすればそれを改善できるのか」といった具体的解決のレベルの話はそういった世界とは全く無縁で、ある程度生活に困っていない評論家や学者でこそできるわけです。

「現場を知っている」ネットカフェ難民が正しい分析や正しいソリューションを編み出せるわけではないのです。

「学者は現実を知らない」などというトンチンカンな指摘をする人がいますが、別に学者は現場を(細かく)知っている必要ありません。

現場を知っていれば正しい分析ができるわけではありませんから。(クールヘッドとウォームハートの両方があるに越した事はありませんが)

「現場を知っている人間、困っている人間こそがわかっている」というポピュリズム的な発想は百害あって一利なしでしょう。

誤解を恐れずに言えば、全く生活に困ってない頭の良い人間が政治家や学者、評論家になるべきなのです。

そういった人間は俗世間の嫉妬根性(ルサンチマン)やくだらない誘惑に翻弄される事はないからです。

(そういった意味で、私はプラトンの哲人政治の信奉者です)

なぜ古代ギリシャで哲学が生まれたのか?

その原点を思い出しましょう。