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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

サーモンと大トロどっちがうまいか

今日たまたま安い寿司屋でランチをしました。

寿司と言えば、私は子供の頃、サーモンというネタが大好きでした。

no salmon, no life.

で、寿司屋に連れてってもらったらサーモンだけ8貫といった下品な頼み方をしていました。

しかし、時がたち大人になると、好きなネタは大トロやウニに気がついていたらなっていました。

これが「社会的」な圧力です。

「大トロやウニは高級なもの、サーモン(寿司ネタとして)は下魚」という社会一般の価値観を私の舌は受け入れ、もはや社会から影響を受けているという事実さえも忘れています。

およそ人間の感覚や好みとはこのように形成されるのでしょう。

考えてみると、佐々木希や石原さとみが美人で大久保佳代子が不美人であるという感覚ですら、社会的な要因がかなり大きいような気がします。

アフリカの土人が先入観なく佐々木さんと大久保さんを比べたら、意外と一定数の人間は大久保さんを支持するかもしれませんし、カトウハヤトとキムタクですらカトウハヤトを一定数は支持するかもしれません。

平安時代には美女と言われた小野小町が果たして現代の感覚で美人と言えるのか?

かなり怪しいところです。

自然科学的な意味で自由意思がないことはある程度明らかになってきていますが、それ以前にもっと素朴な意味でわれわれ人間は自分で思っているほど「自由」ではないのかもしれません。

我々の思考や好みのかなりの部分は社会のピアプレッシャーにより形成されているという事実は忘れてはいけないでしょう。

「自分の考えを持てよ!」と言ったところで、それも相対的な違いでしかありません。

素朴な意味での「自由な判断」など、社会で生きる以上ないのかもしれません。