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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

仕事などの『向いてる向いてない』という比較

有意義な人生を送る上で「向いていることを見つける」ことは非常に大切なことだと思います。

自分の半生を振り返ってみたときに、得意だったことも得意じゃなかったこともいっぱいありました。

感覚的に「これは向いてない」と思ったものがいくつかありますが、冷静に考えてみると「比較対象を間違っている」ような気もします。

例えばサッカーをやってる時に足元の技術があまりうまくなかったので、自分は足元の技術がダメだと思ってましたが、考えてみるとたまたまチームに足元の技術がうまい奴が多かったので、相対判断をすると「向いていない」となるのは当然でした。

逆に不動産関係の投資業などをやっていて「向いてるな」と思ったりもしますが、そもそも相手が弱すぎるのでそこまで向いてるわけではなくても相対的に上に行けるだけですから、実はたいして向いてるわけではないのかもしれません。

勉強に関して、自分は語学(英語)は専門家ではないノンネイティヴとしてはかなりできる(向いている)と思ってますけど、その理由は、英語の場合は極端な話ほぼ全員が勝負の土俵に乗ってますから、自分が相対的に上にいきやすいからです。

それに対して、学部時代に法学部で法律をやってましたが、法哲学などの基礎法学はともかく、民法等の実定法はまるで向いてないと思ってました。

しかし、基本的に比較をする相手が「国家一種や司法試験を目指して死ぬ気でやっている、そもそも基礎学力の高い人間」ですから、そこまで力を入れてない自分が相対的に「劣っている」、「向いていない」と感じるのはよくよく考えてみたら当たり前です。

英語の場合は勝負のまな板に乗ってる人が多い(日本の中学や高校を出てるなら必ずやってますから)ので、TOEIC満点や英検一級程度で「英語が(一応)できる人」となります(私も片手間でやって余裕で取れましたしね)が、そもそも法律の場合は司法試験や国家一種が基準ですから、「できる人」のデフォルトが桁違いに高いので、自分の主観的な「相対的な優越感」が全然違うのでしょう。(要は英語と法律だと母集団のレベルがまるで違うということです)

同じような話で、高校生の時に抜群に数学ができて理学部の数学科に行った友人も、3回生の頃には「俺気づいたんやけど、数学はまるで向いてないねん。得意やと勘違いしてただけや」と完全に自重気味でしたけど、それも強い相手と比較してるからでしょう。

一般人よりははるかに向いてますからねぇ。

将来一流の研究者になる人間と比べたら、それは「向いてない」となりますが。

めちゃくちゃ可愛い女の子で芸能界に進んだ友人も「私は容姿のセンスがない、芸能界向いてない」と嘆いていましたけど、それは佐々木希と比べたらねぇ。笑

デフォルトが違えば自分の「向いている」と感じる感覚も違ってくるでしょう。

何かを「向いてる」、「向いてない」と判断する時に、「(文字通り)純粋に向いていない」のか「自分の土俵の相手が強すぎて向いていない」のかは冷静に分析したほうがいいですね。

それから、関連するようですけど自分の目指すレベルにもよります。

読者モデルを目指すのか本格的に芸能活動をしたいのかで、必要なレベルも違ってきますから。

同じ「向いていない」で、結論は似ているようでも、対処の仕方が違うと思うので、冷静な判断が大切だと思います。

もちろん最終的には「相手が弱いから勝ちやすくて向いている」もアリですけど。