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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

天才を育てる?

たまたま見つけた雑誌ですが、吊るし上げるようでダイヤモンド社に申し訳ないですけど、「天才のつくりかた」とはなかなか奇妙な表現です。

天才は自然に育ってしまうから「天才(天から与えられた才)」なわけで、育てたり作ったりすることは不可能でしょうし、作られている時点で天才ではないです。笑

「日本のサッカーにはストライカーがいない」とよくサッカー関係者は嘆いていますが、高木琢也や福田正博も「天才的なストライカーは育てられません」と言っています。

無責任なようですがこれが真実でしょう。

釜本やカズは天才であり、様々な人の手助けはあったでしょうけど、あくまで「作られた」わけではないのです。

社会全体から見て大切なのは、「天才を育てる」というよりは、「天才を見つける」ことでしょう。

天才がうまく育てばそれは社会全体にとって多大な利益がありますから。

教育系の議論で似たような議論が、「主体性を育てる」というおかしな議論です。

そもそも自由意思のない人間にかっこたる主体性があるのかどうか自体が怪しいですが、仮にちょっとはそれらしきものがあったとしても、「主体性」という以上文字通り「自分から能動的に働きかける」必要がありますから、「主体性を育てる」という表現はそもそもかなり意味不明です。

人為的に育てている時点で「主体性」なんて本当にあるんでしょうか?

「できるだけ正しい判断ができるように手助けをしてあげる」程度のことしか教育にはできないでしょう。

(この辺の議論に関しては、仲正昌樹先生の『不自由論』にくわしいです。)

「天才をつくる」、「主体性を育てる」と恥ずかしげもなく語る教師や教育関係者はその言語矛盾に気づかないといけません。