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「よく生きる」

自称辣腕経営者が人間や社会について淡々と語ります。代官山と港区海岸のタワマンに住んでいます。京大法学部在学中には有名予備校で講師をしていたので、外国語や教育について特に関心があります。

ポータビリティーのある能力

終身雇用が過去のものとなり、数十年もしたらシンギュラリティーの時代になると言われている現在、若手サラリーマンは根本的なマインドセットを変える必要があるでしょう。

ブログにも書きましたが、日本社会ではこれまで22歳でそれなりの会社に入れば、少なくとも所得とかそういった意味では「一生安泰」と言うことができました。

しかし、これから先「一生安泰」なるものは目安箱やポケベル位の「過去のもの」に変わっていくでしょう。

それにもかかわらず、今の若者と話していると「一生安泰」なる状態が存在するかのように彼らは語ります。

もっと馬鹿なのは馬鹿な女の子達ですが(トートロジーか)、それなりに所得の高い男を捕まえたら「一生安泰」だと彼女たちは本気で思っています。

しかし、どこぞの哲学者じゃないですが、「変化に巧みに対応する」ことが何よりも大切です。

このような時代だからこそ、大切なのは普遍的な能力、ポータビリティのある能力を身に付けることです。

「ポータビリティのある能力」とは一つの比喩ですが、要は「持ち運びしやすい能力」という意味です。

「◯◯会社での処世術」なんぞは超ローカルな能力であり、外に出たら何の意味もありません。

資格もこれからは安泰ではないでしょう。

公認会計士などは勘定奉行やサトラップくらい「過去の遺物」となるはずです。

あらゆる前提が壊れていく中、ポータビリティーのある能力を身につけることが実は一番のリスクヘッジです。(ポータブルの対義語はローカルです)

少なくとも「論理的に表現する力」や「人に好かれる力」、「高度な文章の読解能力、執筆能力」などの「メタレベル」の能力は極めてポータビリティーの高い能力です。

それからちきりんも言ってますが、「新しいことを学ぶ力」はこれまで以上に大切でしょう。

昭和時代であれば、18歳で名の知れた大学に受かり22歳でそこそこの会社に行けば、わざわざ学び続ける必要はあまりありませんでした。

社会の変化が極めてスローだったからです。

しかし、これからはそうはいきません。

一番困ったちゃんは18歳や22歳の特に優秀だっただけで何も学んでいないのに、還暦近くになっても「自分は優秀である」と勘違いしている大多数のエセエリートさんでしょう。

ここで私はいくつか例を挙げましたが、「ポータビリティーのある能力とは何か」を考えられることが既に一つの能力です。

「考える力」だけは向こう100年ぐらいはAIが完全に人間と同レベルにはならないでしょうから。(将棋やチェスなどはあくまで確率計算であって、「考える」という営みとは別次元のものだと私は考えています)

私もしばらく「ポータビリティのある能力とは何か」を考えていこうと思っています。